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◆1999年3月〜6月のニュース


他のページ 1998年11月20日〜1999年1月  1999年2月



■ 6月22日 米国、CHT開発へ資金提供の可能性大
John C Holzman 駐バングラデシュ米国大使は本日、米国政府はCHTでの開発活
動への資金協力の提供に関心を持っていると述べた。(ランガマティ発BSS)

大使は、CHTを5日間訪問した折りCHT地域議会議長Jyotirindra Bodhipriyo
Larma 氏と彼の事務所で懇談した。

ラルマ議長は、CHT和平協定の実施、帰還難民及び域内難民のリハビリテー
ション(生活再建)、土地紛争と土地委員会の体制及びNGOの活動について米
国使節に説明した。

彼は大使に対して、米国がCHT開発に喜んで協力すると表明していることに感
謝していると伝えた。(The Daily Star 19990623)

■ 6月22日 丘陵未亡人団体、生活再建要求の実現に向けて
              カグラチャリ発 Shuvra Jyoti Chakma
 ある女性が、2人の息子のことでとても困って
いる。「どうやって息子達を教育すればいいの?」と、彼女は不満をぶちまけ
る。彼女の名前は、マノシ・チャクマ(35歳)。9年前に未亡人となった。
 夫であるアマル・ビカシ・チャクマはディギナラ郡(Tana)Babuchharaの村
落防衛隊のメンバーだった。当時のシャンティ・バヒニのゲリラ達は、アマル
・ビカシ・チャクマをバングラデシュ政府のスパイだと考えていた。マノシは
The Daily Starの記者に次のように言った。「ある夜、シャンティ・バヒニ
の兵士が家を取り囲み、主人を呼び出した。そしてゲリラ達は、無抵抗の主人
を撃ち即死させた」。さらに、「1997年にその事件が起こって以来、私は惨め
な生活を送っている」、と付け加えた。(訳注:1997年は恐らく1992年の間違
い。村落防衛隊はベンガル人入植者が組織している自警団)

マノシ・チャクマはその事件以来、収入源がない事も明らかにした。「誰も助
けに来てくれなかった。住む家すらない。今息子達と暮らしているが、むごい
生活を送っている。地酒を売ってわずかなお金を稼いでいる。」と、教えてく
れた。(注:ここでいう地酒はチャクマの酒で、米から作る焼酎の事)

ここには、マノシ・チャクマのようにCHT危機の時代に夫を亡くした女性がた
くさんいる。彼女達の多くが母方の親族と暮らしている。

ディギナラ郡を訪れた時、チコンヤ・チャクマ(45歳)という名の未亡人
が、記者に言った。「私の主人はビンドゥ・チャクマといって、カグラティリ
の地方行政議会の前議員だったビバクナンダ・チャクマの家で働いていた」。
チコンヤ・チャクマは続けた。「ある夜、シャンティバヒニの兵士はビバクナ
ンダを殺すため、家のそばまで来て射撃した。しかし、彼は、私の夫がその場
で殺されている間に逃げてしまった。」

彼女は、4人の娘と共に長い間人並みの生活を送っていないと言った。「収入
源がなく、家すらない。今、ディギナラのバラダム村のお寺に身を寄せてい
る」

もう一人の未亡人であるカロラニ・チャクマ(36歳)は、ビベコンドラ・
チャクマ殺害計画後、夫のパゴナ・チャクマは陸軍兵士によって叩き殺されて
しまった、といった。このことは、つまり陸軍兵士が彼女の夫をシャンティバ
ヒニのスパイだと思っていたことを意味している。

その後、陸軍は、彼女に夫の火葬代として6000タカを支払った。彼らはま
た、彼女の息子が高校卒業試験を受けることのできるレベルまであげるための
勉強の再開を保証した。しかし、保証は継続されなかったと彼女は付け足し
た。彼女の夫は1989年に殺された。

マヤ・ラニの夫は、シャンティ・バヒニのメンバーだった。彼は、1982年
シャンティ・バヒニ内の2つのライバル勢力の銃撃戦で亡くなった。当時、
シャンティバヒニはLamba(ラルマ派)とBattya(プリティ派)の2つに分裂して
いた。

マヤ・ラニ・チャクマは記者に対して、自分の夫はラルマ派の支持者だったと
言った。「私は、約3ヶ月前サンツ・ラルマと会った。彼は援助を保証すると
言ってくれただけだった」とも語った。

シャシ・ラニ・チャクマ(40歳)は1986年インドに逃れていた時、夫の
バトヤ・チャクマを入植者に殺されたと言った。彼女は、入植者によって潰さ
れた片目を記者に示しながら話した。彼女は金銭的問題のため息子達に教育を
受けさせる事ができないと言う。「私はまた、息子の一人を牛飼いにするため
他人に渡してしまった。」

CHT危機の時に夫を亡くした女性の数は正確にはわからない。しかし多くの
未亡人が大変な思いをして生活をしている事は事実である。

先住民族と非先住民族双方のコミュニティの女性がCHT危機の間に夫を亡く
している。

ところで最近、未亡人たちを組織して11人からなる委員会が結成された。委員
会の名称は「丘陵未亡人福祉協会(Hill Widows' Welfare Association)」で
ある。リーダー達は最近、Biskaka Chakmaを議長に総会を開催した。

総会の参加者は、政府とPCJSSとの和平協定調印にも関わらず、戦争未亡人の
リハビリステーション(生活再建)が放置されたままである事を、悲嘆の中話
し合った。

彼女らは、「私達はその日暮をしている。無力で社会的安定性を得ていない子
供達のために、食糧、衣服、教育を必要としている。」

協会は今、CHT危機で未亡人となったすべての女性達の名簿作りをしてい
る。協会の広報担当によると、先住民族だけでなく入植者も含め、現在わかっ
ている未亡人の数は506人にのぼる。

最近、協会の代表者達は未亡人の6項目要求の実施を求めて、首相、野党国民
党党首、CHT担当大臣、そして丘陵地域議会議長に計4通の覚書を渡した。

6つの要求は次のとおりである。
  ・手織り機の事業を始めるために500万タカの援助
  ・被害を受けた家族それぞれに5万タカの援助金支給
  ・各家族に1年間無料配給の実施
  ・未亡人の子供達に対する雇用機会の提供
  ・未亡人の子供への奨学金支給
  ・すべてのメンバーに定住地として5エーカーのカース地の支給

協会代表は取材の間、夫を失った女性への援助を訴えた。(DS 19990623)
(訳注:カース地は主に焼畑の跡地。中央政府が保有・管理している)

■ 1999年06月04日 暫定Chittagong丘陵地域評議会、1998/99年度予算を承認
1998/99年度も、この6月を残すのみとなったが、暫定Chittagong丘陵地域評議会は、この期間の予算として、一般会計150万タカ、特別会計700万タカを承認した。(情報、DS19990605)

■ 1999年06月04日 CHT産パイナップル輸出開始
Chittagong丘陵県で生産されるHonequeenという名のパイナップルは大きくておいしい。このたびそれがヨーロッパや中東に輸出されることになった。(情報、DS19990605)

■ チッタゴン丘陵地域議会、予定通りスタート

 PCJSS対外広報部よりチッタゴン丘陵暫定地域議会の発足を知らせるメール が届きました。

5月27日、ラガマンティ県にある民族文化協会会館で、至上の喜びの中、長 い間待ち望まれたジュマ民族によるチッタゴン丘陵地帯(CHT)地域議会が、大 祝典と共に正式に発足したことをお伝えでき、大変嬉しく思っています。

 CHT地域暫定議会の22人のメンバーのうち21人は、CHT地域議会の発 足の前日(議長の就任に先立って)5月26日、就任した。

 外交使節団、国際開発機関、すべてのジュマの共同体を含めて、少なく とも4000人が、地域議会の発足式典に出席した。 しかし、不可解なことに CHT省のKalpa Ranjan Chakma大臣以外、どの大臣 もその式典に出席しなかった。

 平和条約に反対するCHTの中の二つの団体が、CHT全域に全日ストライキを呼 びかけた。しかし、3つの丘陵地帯から何千もの歓喜に満ちたジュマの人々 が、彼ら自身の目でその式典を見るためにラガマンティ町に押し寄せたので、ストライキの呼びかけはほとんど式典に影響を与えなかった。

 一方、国の代表的野党 カレダ・ジア前首相のBNP=バングラデシュ民族主義 党と4野党連合は、この日を「暗黒の日」と主張して全国的にCHT地域議会の 発足式典に抗議するデモへと至らせた。

 発足式典でCHT地域議会議長に就任したPCJSS代表Jyotirindra Bodhipriya  Larma(サンツ・ラルマ)氏は、CHT和平協定を直ちに実行に移すために国内と 海外双方のからの全面的援助と協力を求める、と演説をした。 ラルマ氏は政 府に、早急に不必要なすべての軍のキャンプを撤退させる事、入植計画によっ て平野部からCHTに移住して来たイスラム教徒ベンガル人の(平野部での)生 活再興措置を直ちにとることを要求した。ラルマ氏は、『CHTの外でそれらム スリム入植者の再定住または生活再建がしっかりと果たされることを私たちは 望む』と断言した。また、内戦の間、先祖代々の土地を離れ隣国のインドへ避 難していたジュマ難民に対しても適切な生活復興措置が取られるよう要求した。
(中略)

  ジュマ民族の目標への積極的な支援と全面的な援助をありがとう。

■5月12日、PCJSS議長サンツ・ラルマはシェイク・ハシナ首相に対して、チッタゴン丘陵地域議会(RC)の受け入れと準備に取りかかることを正式に伝えた。なお、RCの正式な発足または発足式はランガマティで27日行われる予定である。

■5月10日(月曜日)、カグラチャリでサンツ・ラルマ議長はシェイク・ハシナ首相と協議するためダッカに行く前に、CHT地域議会の受け入れを決意したことを発表した。PCJSSは同日プレスリリースを発表し、この度のハシナとの会談で、昨年JSSの同意なしに国会を通った3丘陵県議会法における協定と矛盾する条項の改正と和平協定実施を政府が保証すれば、地域議会の受け入れを最終的に決定すると表明していた。同リリースによると、2月8日のハシナ首相との会談及び3月23日、カグラチャリにおけるハシナ首相の政治顧問Dr.S.A.Malekとの会談で、CHTにおける「国家レベルのすべての開発計画」を含む和平協定に関する法/条項の実施を、政府が保証するとの確信を得たという。

■ 4月22日、カグラチャリで警察が発砲  (独自情報)

1999年4月22日、カグラチャリでJSS支持者とUPDFが衝突し、2人が死亡、17人が負傷した。バングラデシュの新聞では衝突で死者が出たとなっているが、UPDFによると警察が発砲し、それによって多数の負傷者がでたという。赤字は死亡者。

▽死傷者リスト

警察の発砲で死傷した人々:カグラチャリ・スタジアム敷地内(s/oはson of、d/oはdaughtr ofの略。本人 s/o 父親の名前。個人を特定する方法として公式に用いられている)

1. Biswajit Chama s/o Keshav Chandra Chakma(パンチャリ郡Harubil)左足に被弾。
2. Nakkogulo s/o Din Chan Chakma(30歳、Pearachora郡Dharmapur)右肘に被弾。
3. Natunjoy Chakma s/o RajaniKanta Chakma(20歳、ディギナラ郡 Pablakhali)左足首負傷。
4. Kalomoni Chakma s/o Ragram Chakma(19歳、パンチャリ郡 Shonkhola)腹部左側を負傷。
5. Smritimilon Chakma s/o Purnasen Chakma(30歳、パンチャリ郡Babupara)腹部左側被弾。
6. Jubam Basu Chakma s/o Khirodh Chandra Chakma(22歳、Bhaibon Chora郡 Ranjanmoni para)右腿に被弾。
7. Lakhindra Chakma s/o Mahendra Sen Chakma(45歳、パンチャリ郡Pujosang)ゴム弾で胸を負傷。
8. Amalendu Chakma s/o unknown Gachhban(35歳、カグラチャリ町)腹部、右腿、左手に被弾。
9. Swapan Chakma s/o Bhibhabsu Chakma(33歳、カグラチャリ県Pearachora)手に被弾。
10. Shankarmitra Chakma、不明(パンチャリ郡Holodhar para)手を負傷。
11. Tiron Chakma s/o Birsen Chakma(22歳、Nilmoni Headman para)手と眼を負傷。.
12. Babul Chakma */o Bimolendu Chakma (16歳、パンチョリ郡Babupara)頭部負傷。
13. Pratul Chakma s/o Anand Chakma(19歳、パンチャリ郡Akshoypara)死亡。

スタジアム近くで死傷した人
1. Suromoni Chakma s/o Fagunchan Chakma(21歳、ランガマティ県Kutukchari )死亡。
以下は負傷箇所などの記録がない人々。
2. Sukhendu Bikash */o Ramchandra Chakma(25歳、ランガマディ県Narechori)
3. Rupayan Chakma s/o Prabhat Chakma(20歳、ランガマティ県ナニアチョル郡Patigachi)
4. Hironmoy Chakma s/o BoronKumar(22歳、ランガマティ県Hajachora)
5. Jotil Babu Chakma、その他不明。
6. Mongla Marma s/o Uthari Marma(26歳、ランガマティ県Nanyachar)
*/o とあるのは原文に表記がなかったもの。d/oかと思われるがはっきりと分からない。

 

1999年4月

CHT地域議会;来月から活動開始のもよう!

The Independent-Bangladesh紙によると、PCJSS党首Jyotirindra Bodhiprio Larma 別名サンツ・ラルマ( Santu Larma)氏は、24日、カグラチャリで面会した地元記者に対して今なお活動をはじめていないCHT地域議会について、来月には活動開始が可能になると判断した、という。

地域議会の活動開始の障害となっている和平協定との"矛盾"の解決は心配いらないだろう、という。

 彼は、シェイク・ハシナ首相やCHT省大臣コルポ・ランジャン・チャクマ氏との会談の後、カグラチャリ、ランガマティ、バンダルバンの3県を15日間回って地域の人々と話し合いを行ってきた。人々は、協定が実施されていない事を気に病んでおり、何よりも地域議会が活動を開始することを熱望している、と語った。

 地域議会はCHTの開発、土地問題の解決、その他の広範な権限を有し、各県議会の活動を調整する機関で、ジュマ民族14名及びベンガル人6名で構成され暫定議会の議長にサンツ・ラルマ氏が就任する事が決まっている。

 この地域議会の活動が開始が遅れているのは、和平協定と矛盾した条項がチッタゴン丘陵地帯4法(地域議会法及び各県の県議会法)に含まれており、また、協定で撤退が決められている軍事キャンプ約420カ所の内、10カ所しか撤退していないこと、及びJSSのメンバー11人が和平協定締結後16ヶ月たった現在も釈放されていないことなどからJSSが議長・議員への就任を拒んできたからだ。また、政府が指名したベンガル人議員3名がCHTでの選挙資格を有しない人々だったことも大きな原因であった。(要約:独自)

 

1999年3月

3月22日 EUは条件が満たされるまでCHTへの援助を行わず
NUBによると、本日、EU使節はダッカにて、欧州連合が約束しているバングラデシュ南東部丘陵地帯のための開発援助は、和平協定で規定された条件が全て満たされた時から実施されると発表した。
「私は同地域を3回訪問した。我々は和平協定を非常に歓迎しており、和平の過程を支援する十分な用意がある。」とEU使節団長代理、ヨルグ・フォルケル・ケテルセンは国立記者クラブでバングラデシュ海外記者協会(OCAB)メンバーに伝えた。
「地域住民代表」からなる三つの県議会やチッタゴン丘陵地域議会など、行政的な基盤が確立した後に、同地域の状況改善のための支援を実施するとケテルセンは述べた。

次に、同地域のための全般的な開発計画が必要であり、「援助を開始する前にこれらの条件は満たされるべきである。」と述べた。これは、援助のための前提条件を定めたものと思われる。
協定の全面的実施をめぐるこれまでの政府と先住民族の元反政府組織との交渉の行き詰まりに関して「この問題の全関係者が和平協定の内容と精神を遵守ことを信じている。膠着状態は打開されると予感している。」とケテルセンは述べた。
欧州の使節は、和平の過程以外に選択肢がないことを主張した。「武力闘争(hot conflict)が再開されることはもはや考えられない。」

新聞の報道によると、国務大臣の資格で地域議会の議長に任命された先住民族元反政府組織の代表、サンツ・ラルマことジョティリンドロ・ボディプリーヨ・ラルマは、幾つかの争議を解決するためにシェイク・ハシナ首相と最近会談した。今後も一連の交渉を行う可能性が高い。

1997年に調印された和平協定は、公式発表で2500人の死者を出したインド・ビルマ国境沿いの丘陵地帯での22年に及ぶ内戦を終わらせた。

今回のドナー側の発言のバングラデシュの政治情勢への影響についての質問に対して、ケテルセンは、ドナー側が関係当事者への「一定の効果を期待して」なされた発言であると答えた。
「我々はフォローアップが行われることを期待している。この問題は4月にパリで行われる援助国会議の議題に上げられている」と彼は報道関係者に伝えた。
ドナー側は政府からの意見表明を期待しており、野党も「近い将来」ドナーとの話し合いに応じる意志を表明していると使節は述べた。
「EUは、安定した政治的な情勢が保たれれば、開発協力を成功させることが出来るとを確信している。」
世界銀行を含む16の援助国・機関の現地代表団は、1996年以来2回目の共同声明で、政治対立が経済を沈滞させ、海外の投資家を遠ざけ、貧しい人々に被害を及ぼしていると述べた。
「政治的な見解の相違は、ホルタール(スト)や暴力的な対立によってではなく、国会などの場で平和的に解決するよう」促した。
国の指導者が平和的な解決法を見いださなければ援助をカットする可能性があることを示唆した。
ケテルセンはバングラデシュへの海外からの投資のことに触れ、大手建設会社のLe Largeが2億ドル投資してシレットにセメント工場を建てたことに言及した。

OACB会長、マティウル・ラーマン・チョウドゥリーが座長を務め、事務局長のナディーム・カディルが祝辞を述べた。EU使節団長に指名されているアントニオ・デ・メネゼアも出席した。(Independent, 19990322)

 3月22日 サンツ・ラルマと大臣の会談で大きな進展なし〜特派員より
情報筋によると、昨晩、CHT省大臣、コロポ・ロンジョン・チャクマは、先住民族指導者との意見の相違を解決するため、PCJSS代表、ジョティリンドロ・ボディプリーヨ・ラルマと会談した。

サンツ・ラルマの名でも知られるJ.B. ラルマ氏は、「風邪アレルギー」の治療を受けるために一ヶ月滞在していたインド・カルカッタからダッカに水曜日に戻った。
ラルマは2月8日にシェイク・ハシナ首相と4時間会談した。しかし、会談は、丘陵県議会法の改正、ラルマが議長に任命されているCHT地域議会(RC)のベンガル人入植者割当議席の議員の任命などの問題をめぐる政府・PCJSS間の長期間の膠着状態を打開するには至らなかったようである。
会談後、ラルマは国務大臣(State Minister)の地位を与えられた。政府の文書によると、同氏がRC議長に就任した日からその資格が有効になる。
しかし、ラルマは、シャンティ・バヒニのメンバーの釈放、彼が氏名した委員のRCへの任命、丘陵地帯の外へのベンガル人の再定住などの要求が満たされない限り就任しないという立場を堅持した。

首相との会談は、97年12月2日に調印されたCHT和平協定の実施の鍵となるRC及び14,200平方キロメートルに及ぶチッタゴン丘陵地帯での土地調査を行うための土地委員会の結成をめぐって長い間、膠着状態が続いた後に行われた。
首相との会談後、政府高官は、状況打開に期待を表明したが、ラルマは2月17日にカルカッタに行った。
水曜日の帰国後、同氏は首相との面会を求めたが、首相との話し合いの継続はCHT大臣とするように言われた。コルポ・ロンジョン・チャクマは2月8日のラルマと首相との会談には同席しなかった。
昨晩の会合の詳細は発表されていないが、情報筋によると、見解の相違を取り除くための両者間の話し合いが今後も行われる予定である。(The Dairy Ster,19999322)

 

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