◆1999年2月のニュース

 


■ 2月5日 CHT開発局のゴム栽培不振 
Chittagon丘陵県開発局は、1976年、当時の大統領Ziaur Rahmanの「経済開発がうまくいけば丘陵県の問題は解決するだろう」という考えのもとに設置された。そして85年にアジア開発銀行の支援でゴム栽培事業が始められた。2000世帯の少数民族が選ばれ、1世帯ごとに4エーカーのゴム園と家が割り当てられた。保健衛生についての教育がおこなわれ、プロジェクト地には6つの小学校もつくられた。総事業費は5億2000万タカ。また95年からは1000世帯を対象に同様の事業が実施され、これまでに2億7000万タカが支出された。生産されたゴムは、開発局が1キログラム13タカで買い取っている。Thoyaisa Marmaは、180本のゴムの木を持ち、月900タカの収入がある。Jagadish Chakmaは、500本の木を持ち、月1600タカを得ている。しかしすべてのゴムの木から安定的にゴムが取れるわけではなく、ゴム栽培だけで生活するのは不可能であるという。(DS19990205、情報)

<解説> この事業はADBが支援した「高地定住化計画」。1999年2月にカグラチャリ県を訪れたおり、プロジェクト地を見たが、この報道でいわれているようにプロジェクトでは家が割り当てられる筈だが、「通い」であるというのが実態だという。因みにダッカで20歳代の労働者の月収が3,000〜5,000程度。100円=約38〜40タカ。

■ 2月8日 PCJSSサンツ・ラルマ党首とハシナ首相が会談
施に関係して2月8日、JSSのサンツ・ラルマ党首とシェイク・ハシナ首相の会談がダッカで行われた。会談の詳しい内容に関しては、近日中にJSSからジュマ協力基金にレポートが届く予定である。会談は現在、サンツ・ラルマ党首がCHT地域議会議長就任に際して障害となっている問題に関して首脳同士で話し合うことを目的とした。しかし、その障害とはバングラデシュの英字紙がインターネット上で伝えてきた「書かれていない合意」の実施を巡るものではなく、各丘陵県議会の権限が協定よりも狭められている点及びJSSの活動家の恩赦と告訴取り下げが殆ど実行されていない点などである。しかし、入手した情報によると会談は不調に終わり、政府には和平協定を誠実に実施しようと言う意志が見られなかったという。その一方で政府はマスコミ操作を行い、故意にJSSを貶めるような歪んだ報道をしていると、情報提供者は語っている。このニュースは正しい情報が入り次第、詳しく報じる予定。(文責;HPマスター)

 1999年02月15日 CHTの域内難民
Chittagong丘陵県には、住む場所を失ってしまったが、国境は越えずにいる「域内難民 internally displaced person」が10万人いる。かれらは食糧不足に直面しやすく、1998年4〜5月だけで30人が死亡したという。多くはRangamati県Baghaichhari郡にいる。(DS19990216、情報)

■ 2月17日 カグラチャリ県の中学校、授業再開のめどたたず
CHTカグラチャリ県では1997年11月から98年1月にかけての難民帰還の影響で、小学校(primary school  6歳から11歳まで)、中学校(High-school 12歳から16歳まで)とも各々生徒数が一気に増え、ある学校では2倍近くにまで膨らみ、授業に重大な支障を来している。特に中学校は授業料、教科書とも親の負担となっており、帰還難民学生の多くが教科書を購入できていないため、1月から始まった新学年は現在に至も正常な授業が再開できないでいる。これは、和平協定実施が進んでいないことに加えて、今年の1月いっぱいで帰還難民への配給が終わり、極めて厳しい状況にあるために多くの親は教科書代を支弁する余裕がないためである。いくつかの中学校の校長は「本格的な授業再開は3月になるだろう」との見通しを語っている。(独自;文責HPマスター)

 1999年02月16日 カグラチャリで3週間に7人殺害さる
カグラチャリ丘陵県では、ここ3週間で7人が殺害された。2月3日に拉致され12日に遺体で発見された2人と、8日に拉致され14日に発見された2人は、Chittagong丘陵和平に反対するPahari Chhatra Parishad(丘陵県学生評議会)のメンバーである。これとは別に1月31日に1人、2月2日に2人が殺害されており、うち1人はベンガル人であった。丘陵和平支持派と反対派の抗争は激しさを増している。(DS19990217、情報)

 1999年02月17日 Larma、国務相待遇に
Parbattya Chattagram Jana Sanghati Samity(丘陵民族統一党)議長Shantu Larmaは、暫定丘陵地帯評議会議長職にあるあいだは、国務大臣相当の待遇を得ることになった。また、さきの首相Sheikh Hasinaとの協議で、元シャンティバヒニ兵士への告訴がまだ取り下げられていない場合には、これを取り下げることが決まった。(DS19990218、情報)

■ 2月20日 EU政府とヨーロッパ議会の声明に関して。
"EU政府とヨーロッパ議会は昨日(12日)、CHTの先住民族と非先住民族両方の開発活動に関する基本的な計画策定と決定への参加を喜んで支援すると表明したと、UNBは伝えた。
その活動は、異なるコミュニティ間の対話の継続とその機会を拡大し、地域の持続的な和平の達成に大いに寄与することになろう、とイギリス高等弁務官(大使)の声明は語っている。声明は2月7日から9にかけてのEUの指導者たちによるCHTの訪問の後に出された。ドイツ、デンマーク、フランス、イタリア、オランダ、スウェーデン、イギリスそしてECの代表で構成されたミッションはランガマティとカグラチャリを含むCHT各県を訪問した。”(2月13日、The Daily Ster)
JSSは政治的状況と和平協定の実施の遅れに関する情報提供のため、訪問団に向けてブリーフィング・ペーパーを提出した。彼らはまた訪問団に対して、協定の早急な実施のために各自の政府がバングラデシュ政府に圧力をかけるよう要請した。(独自情報)

<解説> ここで言う開発が具体的にどのようなものを指しているのか、ニュースの文面からは今ひとつ不明である。しかし、はっきり言えることはイギリスの声明とは違い、ジュマ民族は昔から住んでいたベンガル人をのぞく非先住民族=入植者が、CHTの中でいかなる開発もリハビリテーションをすることにも反対している、ということだ。ベンガル人入植者とジュマ民族がCHTの中で平和に暮らすというのは机上の理想であって、現実には入植者の撤退か、CHTのベンガル化(先住民族が圧倒的少数となり一切の権利を失う状態)かのどちらかしかない。また、和平協定では、その構造においてCHTの開発が原則としてジュマ民族のイニシアティブの元において行われることが決められており、これは将来的にベンガル人入植者が撤退することを論理的に前提としている、といえる。また、ECはバングラデシュ政府に対してこれまで重ねて入植者の撤退を勧告しており、その資金拠出も申し出ている。声明文を読んでいないので、このニュース報道が正しいのかどうかは判断できない。

■2月28日 アメリカ国務省、ムジブル・ラーマン首相暗殺事件の判決、CHT和平協定を歴史的出来事として評価

米国務省の1998年のバングラデシュに関する報告書は、建国の父、シェイク・ムジブル・ラーマン首相及びその家族の暗殺者の裁判での98年11月8日の歴史的判決について言及した。BSSによれば、同報告書は、被告の内、15名が死刑の有罪判決を受け、4名が無罪放免となった。

人権状況に関する米国務省報告は、和平協定をチッタゴン丘陵地帯の問題を解決するものとして賞賛した。「一年前に発効した、1997年のチッタゴン丘陵地帯(CHT)和平協定はCHTにおける25年間の内戦を終わらせた。98年末現在、CHTの状況は落ち着いているが、和平協定の実施には時間がかかっている。」と報告書は述べている。

協定の条項が、議長も代議制度も先住民族を中心とする強力な自治政府、丘陵地帯での軍縮、先住民族の避難民家族に対するしっかりとした補償を規定していることも述べられている。(Tha Independent;19990228)

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