1998年11月10日〜1月末まで


■1998年11月10日 ラルマ、和平協定実施の遅れについて政府を批判

 カグラチャリで、1997年12月2日の和平協定成立後はじめて、チッタゴン丘陵統一人民党が大衆集会を開催した。この日は連帯協会初代会長マノベンドラ・ナラヤン・ラルマ(Manabendra Narayan Larma)の没後15周年にあたる。マノベンドラは83年、シャンティバヒニの内紛が原因で、Rrity Kumar Chakma率いる部隊の襲撃をうけ、トリプラで殺害された。現代表のサンツ・ラルマは、政府の一部の人間が意図的に和平協定の実施を遅らせている、と非難した。シャンティバヒニの罪は問われないことになったにもかかわらず、まだ十数人が獄中にいる。ラルマはシェイク・ハシナ首相にたいして、「和平協定を本気で実施するつもりがあるのかないのか、はっきりしてほしい」と述べた。一方でラルマは、少数民族内で「完全なる独立」を求めてラルマらと対立している勢力をも非難した。「かれらはマノベンドラを殺した連中と同様、外国の陰謀によってあやつられているのだ。」(The Daily Star19981111、情報)

■1998年12月01日 チッタゴン丘陵問題相、暫定丘陵地帯評議会の受け入れをラルマに要求

 1997年12月2日にチッタゴン丘陵和平協定がむすばれて1年になるが、具体的なプロセスはほとんど進んでいない。丘陵県の行政はすべて丘陵地帯評議会が統轄する、と和平協定で決められているのであるが、その丘陵地帯評議会がまだできていないのである。

 チッタゴン丘陵県問題相コルポランジャン・チャクマ(Kalparanjan Chakma)は、チッタゴン丘陵統一人民党党首サンツ・ラルマ(Shantu Larma)に対して、和平プロセスの速やかな実施のために、暫定丘陵地帯評議会の設置を即時受け入れるよう要請した。またコルポランジャン大臣は、先の国会でのランガマティ県地方政府評議会法改正でもあきらかなように、ラルマの要求は段階的に受け入れられるであろう、と述べた。しかしラルマは、「少数諸民族とベンガル人の双方に、チッタゴン丘陵和平を妨害しようという陰謀をくわだてる人がいる」と述べ、暗にコルポランジャン大臣を批判した。そして、暫定丘陵地帯評議会評議員を、すべてラルマ自身の指名によって決めるべきである、との要求を繰り返した。

 ラルマの主張では、97年12月2日に協定に署名するさい、政府とラルマとの間で、暫定丘陵地帯評議会評議員22人すべてをラルマが好きなように指名してよい、という約束が「文書化はされなかったが口頭で」結ばれたというのである。政府はこれを否定している。さらに、土地委員会もいまだに設置されていない(これにはカグラチャリとバンダルバンの王位継承権をめぐる紛糾も関連している)。また、武器を捨てたシャンティ・バヒニ(統一人民党のゲリラ部隊)兵士には5万タカの一時金、1年間の現物配給が与えられ、警察官などの公務に採用されることが和平協定で決まっていた。ところが統一人民党の主張によれば、こうした便宜をまだ受けていない元兵士があり、さらに元兵士に対する告訴もすべて取り下げられたというわけではないのである。ところでラルマ自身も、「完全なる自治」という目標を捨てたとして、統一人民党の一部から批判されている。今ではすっかり仲が悪くなった政府アワミ連盟と統一人民党は、12月2日、別々に記念集会を開催する。また民族主義党は、抗議集会を開催する。(The Daily Star 19981202、情報)

 

■1998年12月02日 ラルマ「武力闘争再開も辞さない」と発言

 チッタゴン丘陵民族統一党(JSS)は、チッタゴン丘陵和平協定成立1周年記念行事をランガマティで開催した。サンツ・ラルマは演説の中で、もし政府が和平協定に従わないならば、われわれは武力闘争再開も辞さない、と述べた。政府アワミ連盟はカグラチャリで別の記念行事を開催した。民族主義党系のSarbadaliya Oikkya Parishadは抗議集会をひらいたが、この3つの集会はお互いに衝突しないように場所を離して開催された。(The Daily Star 19981203、情報)

■1998年12月20日 政府は入植者の撤退に同意していたとPCJSSリーダーが主張<要約>
 PCJSS(チッタゴン丘陵統一人民党)リーダー、 ゴータム・デワン氏(Goutam Dewan)は、昨年12月の和平協定締結の時点で、政府はベンガル人入植者をチッタゴン丘陵地帯 から平野部に戻すことに同意しいたと暴露したことを、UNBが伝えました。<br>
 ゴータム氏は、政府とJSSの交渉者との間で、ベンガル人入植者を立ち退かせるという”和平協定に書かれていない合意”があったと、(12月18-19日)ランガマティで開催された「チッタゴン丘陵地帯の環境と持続可能な開発」に関するセミナーで語りました。その合意が行われたミーティングの出席者は、政府側代表がAbul Hasnat Abdullahと Ataur Rahman Khan Kaiser及びKalpa Ranjan Chakma、PCJSS側の代表がSantu Larma、Rupayan Dewan と彼自身であった、とゴータム氏は言っています。彼は、入植者の存在が「環境を損ねた」と述べ、ベンガル人入植者をNoakhali のchar(中州?)エリアに移す事を提案しました。そして、大手漁業者にcharの土地を貸し与えるのではなく、CHTのベンガル人入植者にcharの土地を与え、生活復興を図るべきだ、と付け加えました。
 サンツ・ラルマPCJSS代表は、「書かれていない合意」については明言をさけました。彼は、ベンガル入植者はチッタゴン丘陵地帯の外で、立派に復興させるべきだ、と発言。それと同時に、(丘陵民で)域内で難民となっているトリプラ州からの帰還難民の生活復興を進めなければならない、と主張しました。
 2日間のセミナーは「ランガマティ宣言」とベンガル人入植者のCHT地域からの立ち退きを採択しました。宣言は次のように主張しています。
・争っている土地や、これから設立される土地委員会による裁定が下っていない土地では、開発プロジェクトを行ってはならない。
・個人または企業に貸し与えた土地は解約して、地方行政区(the local government parishad) に引き渡すこと。
・地方行政区及び地域委員会との優先的な協議を経ずに、自然資源の探査及び開発を行ってはならない。
この7ページに及ぶ宣言はまた、和平協定の即時かつ適切な実施を求めています。(UNB 21121998)

<解説>23日の記者会見でシェイク・ハシナ首相はデワンの暴露を否定した。CHTのベンガル人入植者の扱いについて、これまで私たちが受け取っていた協定外合意の情報は「配給を廃止する」というもので、これは和平会談の場で政府側がJSSに示した、協定成立後に行う一連の措置の一つとしてだった。協定成立の一年くらい前の入植者へのアンケートでは、半数以上の入植者が平野部へ帰ることを望んでおり、彼らが協定後の土地の返還と国有地(保護林)を割り当てられることを考えあわせると、かなりの人々が自発的に平野部へ戻ることが予想された。しかし、和平協定の実施が遅々として進んでいない今日、ゴータム・デワンのこの暴露は本当であるかどうかに関わらず、政府を揺るがさずには行かないだろう。また、入植者の帰還には莫大な費用が必要であり、特にEUがどのような反応を示すのか、注目される。というのも1996年にEU議会は、チッタゴン丘陵問題の解決のために入植者の平野部への撤退が不可欠の条件であると勧告しており、その費用の負担を引き受ける用意があることを表明しているからである。

 

■1998年12月26日 Chittagong丘陵で新党結成
Pahari Gano Parishad(丘陵地帯人民評議会)、Pahari Chhatra Parishad(丘陵地帯学生評議会)、Hill Women Federationは合同で新党United People's Democratic Frontを結成した。Prosit Bikash Khisaが党首に選出された。アワミ連盟政権と和平協定を結んだShantu Larmaに対抗して、Chittagong丘陵地帯の完全な自律を目指す。(The Daily Star 19981228 
情報)

<解説>上記の3団体は和平協定締結後に分裂し、いわゆる「プロシッド−ソンチョイグループ」側の団体である。彼らの主張はCHTで一定の支持を得ているが、平和な生活を望む一般の人々のコミットが強いとは言えない。しかし、和平協定の進捗具合からJSSへの支持も低下してきているとの情報もあり、今後は暴力的抗争ではなく言論によって互いの政策や意見への支持を獲得していく方向に進むことが強く望まれる。

■1999年1月11日 武装したPritiグループ、CHTでいまだ活動中
(RANGAMATI 1月11日) 和平協定とPCJSSに反対している Pritiグループの関係者が伝えるところによれば、"大"Plabon に指導されたグループのメンバーがBaghaichhari Tana(郡) Baghaihatの人里離れた 森林で活動している、という。この武装したグループは、 反PCJSSの 新しい運動を始めた。グループは、地元で" LPG "として知られている。
先週の金曜日、Lalan Kanti Chakma の息子、Priya Kanti Chakmaであると名乗る男が警察に引き渡された。彼のグループが前日、Karengatali Mukh 村に入ったとき、男は捕まった。彼の仲間は逃げた。

警察の尋問で、彼の一団は9人で、村に入ったのは5人であることをPriya Kanti Chakmaは認めた。彼は治安警察に対して、武装した17人がプロシッド−ソンチョイ(グループ)とつながっていると供述した。彼らは全員Pritiグループのメンバーであるという。男によると彼らの主要なキャンプは、Baghaihat の深い森林にあるという。
彼らは 1998年12月22日に2人の BFIDC の従業員を誘拐した。(誘拐された)BFIDC 従業員は身の代金が支払われた後に解放されたと、Priya Kanti Chakma は言った。
国境警備隊長と治安軍長官の間の最近の会合で、バングラデシュは Priti グループの活動を告発した。その後、 Rangamati で記者会見したPCJSS 指導者サンツ・ラルマは告発したという根拠はないと退けた。

「大」Plabonの指導下で、Pritiグループの武装した約17人が Rangamati の Baghaihatの密林で活動していることをPriya Kanti Chakmaが自白したことで、CHTの状況が複雑になった、と関係者は語った。(Independent,−NFB19990112)

<解説>この記事に登場するPritiグループとは、PCJSSから1982年10月24日に分派した、Priti Kumar Chakma派グループのことです。しかし、この情報は全くでたらめであるとJSS及びCHTの活動家は憤慨している。Pritiグループはとうの昔に民族の支持を失い、いかなる活動も出来るわけがないという。(年表参照のこと) 

1999年1月

 1999年01月06日 チッタゴン丘陵開発事業に89億3810万タカ
国家経済評議会執行委員会は、Chittagong丘陵県の経済発展のための開発事業7件・総額89億3810万タカ分を承認した。うち67億0020万タカは、外国のプロジェクト援助により実施されるものである。(DS19990107 情報)

 1米ドル=46.30タカ(98年3月)

■1999年1月18日 PCJSSはCHT協定問題を首相と話し合う用意あり
 
特別業務局(The Special Affairs Division)内の情報筋によると、チッタゴン丘陵統一人民党 ( PCJSS )の指導者は、1997年12月2日に政府と署名した平和協定の実施問題を解決するため組織活動の多くの時間を費やしている。
 情報筋によれば、PCJSS 党首 サンツ・ラルマは現在、チッタゴン丘陵地帯全域の視察に時間をとられ、CHT担当大臣コルポ・ランジャン・チャクマと交渉を持つ時間がなく困っている。何人かのPCJSS指導者は、協定実施の道筋に関する問題の解決は首相と話し合う以外になく、他のレベルとの交渉を通じ問題を解決しようと努力しても無駄になる、と話しているという。
 サンツ・ラルマとコルポ・ランジャン・チャクマとの会合予定がカグラチャリ巡回議堂(Circuit House )で1月10日に組まれていたが、前例がなかったためその建物を使用できなかったのでその会合は流れた、という。特別業務局は次の会合設定に努めているが、PCJSS が CHT 担当相との話し合いに乗り気でないので上手くいってない。これは、もし首相も望むならPCJSSは首相との会談には応じる用意が出来ている、というヒントなのだと情報筋は語った。

PCJSS の当面の要求:
a) ベンガル人移民のCHTからの撤退と平野部において彼らの生活復興を進めるという協定に「書かれていない合意」の実施。
b) 前に政府によって発表されたCHT地域議会からの2名の名前の削除と、CHTの法的な枠組みが決まる以前(和平協定以前)から当該エリアで働いている外国NGOの許可の取り消し。
 
 政府はすでに最後の要求を受け入れて、外国NGOの活動を止めた。現在政府はCHTでの活動に関与するNGOのためにいくつかの法律を立案中である。他の2点の要求について情報筋は、近い将来に実行することは不可能だ、と情報筋は述べた。ベンガル人入植者の撤退については、全く可能性はなく、PCJSSとの合意文書にも見いだせない。2名の名前の削除については、臨時議会を含めすべてのメンバーをPCJSSが指名できるという合意をPCJSSとの間で交わしていない、と述べた。しかし、サンツ・ラルマ党首は、すべての「書かれていない合意」を政府は破棄したとすでに公表しており、そして、「書かれた」合意と「書かれていない」合意を実行しない限り、自分は地域議会議長就任の宣誓を行うことは出来ないといっている、と情報筋は伝えた。
 最近作られた土地委員会によれば、地域議会が活動していないので、土地所有に関する論争を解決する作業を始めることが出来ない、地域議会が適切に働いた場合に限り、土地論争を決着できる、と関係者は述べている。 CHT問題に関する政府の立場を擁護するキャンペーンをCHTで行っているコルポ・ランジャン・チャクマは、和平協定の意味からして、明記された合意内容と同じように、書かれていない事柄まで協定の一部として扱うことは出来ない、と語っている。 特別業務局の情報筋は、 PCJSS 党首は地域議会の管理を臨時に引き継ぐことに同意しなかったので、チッタゴン丘陵地帯での地方政府選挙の実施が不透明になった、と語った。(Independent−NFB 19900118)

 1999年1月26日 CHTで開発事業52億2000万タカ 
地方政府土木工事局は、52億2000万タカかけてChittagong丘陵県の産業基盤整備事業を実施する。2003年までに小さな道路420キロメートル、大小の橋を総延長4600メートル、貯水池40カ所、バス・ターミナル10カ所、バイオガス・プラント78カ所建設し、市場の整備をおこなう。また女性省は3億4000万タカで、Rangamatiの女性の社会経済状態を改善するために事業を実施する。これらの事業では、職業訓練施設、宿泊施設、冷凍倉庫なども建設される。(DS19990127、情報)

 

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