Latest update 2005-07-19
※翻訳したニュースおよびステートメント類の内容は当会の主張や見解とは何ら関係ありません。翻訳に当たっては出来る限り原文に忠実であることを心がけていますが、引用に当たっては必ず原文を参照されるようお願いします。なお、訳文の著作権は当会に帰属します。
1月
2005.01.05 軍と武装集団、3時間に渡り銃撃戦
[バンダルボン発 The Daily Star]治安部隊は昨日(4日)未明、バンダルボンの人里離れた丘陵地域で犯罪者集団とおよそ500発撃ち合い、3時間の激しい銃撃戦を交えた。
関係者によると、犯人達はLulain、Tumbru、Hlapai MukhやLatajhiriといった地域で銃撃戦の際ロケット・ランチャーをはじめ精巧な兵器を使用したということだ。
軍やその他の当局筋ではこの事件は認めたが、詳細を明らかにしなかった。銃撃戦での死傷者の身元は不明である。 銃撃戦後、バンダルボン市から15キロ離れたその地域に緊張状態が広まり、昨夜(4日夜)まで県当局との連絡はぱったり途絶えたままだった。
地元の人々によると、午前3時頃激しい発砲音で目が覚めそれが早朝まで続き、地域にパニックを引き起こしたということだ。
匿名を条件に語った関係者の話では、その地域をパトロールしていた軍の兵士に向かって犯人グループが発砲してから銃撃戦は起こった、ということだ。
犯人達は少なくとも250発の銃弾を撃ち、兵士達は凶漢を追い払うべく同量の銃弾で応戦した、とさらに関係者はつけ加えた。
別の関係者によると、治安部隊と警察では、内報により月曜の午後に犯人達の隠れ家を包囲した、ということだ。昨日午前2時に作戦を開始すると、犯人達は重火器で発砲しながら逃走した。
警察によると、軍隊と犯人達は昨日(4日)の発砲現場に近い Tarachhaで去年の10月22日にも銃撃戦があり、約200発撃ち合いしたということだ。
丘陵地帯の隠れ家にいた犯人達は、治安部隊に対し数カ月の間に少なくとも4回武力攻撃を加え、11月21日にその地域のJamchhariで陸軍上等兵を殺害した。
去年の8月26日、軍はLulain地域の深い森から銃器と弾薬の莫大な隠し場所を差し押さえた。[翻訳協力:伊東]
http://www.thedailystar.net/2005/01/05/d5010501055.htm
2月
2005.02.16 先住民族、エコパークを拒否
[バンダルボン発、The Daily Star] 昨日、バンダルボンの先住民族はムロ共同体の土地5500エーカーを利用してエコ・パークを建設する案を拒否することを宣言した。
バンダルボンの県庁所在地から36キロ離れたEmpu Paraで開かれた集会でエコ・パーク案への抵抗が呼びかけられた。ムロ共同体の500家族の家長が参加したこの集会は土地保護・森林保存委員会によって組織された。
ムロ社会委員会のRang Lai Mro委員長は、「政府がソドル、ロアンチョリ、ルマ及びラマ郡(Sadar, Roangchhari,
Ruma and Lama upazilas)の5500エーカーの区域にエコ・パークを作るというこの計画を実施したならば、ムロ民族の700家族以上が立ち退かされだろう」と話した。
http://www.thedailystar.net/2005/02/16/d50216013022.htm
3月
2005.03.17 チッタゴン市でUPDFメンバー37人、犯罪容疑で拘束
[チッタゴン市発the Daily Star] 警察は、16日早朝Panchlaishにある市のコミュニティ・センターで、37人の先住民に容疑をかけて拘留した。多くは丘陵学生評議会(PCP)と丘陵青年フォーラム(PJF)のリーダーや活動家、学生、統一人民民主戦線(UPDF)の青年部の人々であった。
関係者によると、警察は地元民からの苦情でBiye Bariコミュニティ・センターを強制捜査し、午前1時ごろ、先住民の人々やコミュニティ・センターのオーナーであるMd.
Shafiを逮捕した。
逮捕された者のなかには以下の人々も含まれていた。PCPの事務局長(幹事長?)でダッカ・レザー・テクノロジー大学の学生Dipankar
Tripura、PCP代表でダッカ大学MBAの学生Rupan Chakma、Rajshahi大学の学生Riko Chakma、PJF代表のApu
Chakma、前PCP代表のMithun Chakmaである。
先住民達は、組織的な活動やボイサビ(先住民の民族に伝わる新年を迎える祭り)に関する問題を話し合うために、何度もコミュニティ・センターに集まっていた。
Panchlaish方面副署長Ziaul Kabir氏とチッタゴン都市警察(CMP)の刑事部および特別捜査部の2名の警部で構成された委員会が、その日の午後Panchlaish警察署で拘留された容疑者たちを尋問した。
これに対し、UPDFはその日の午後の記者発表で、留置に対し強く非難し、抗議した。そして、直ちに37人のリーダーと活動家を無条件で釈放するよう要求した。UPDFによると、集会はPCPとPJFそれに丘陵女性連盟(HWF)の合同による調整会議だったということだ。
警察は、先住民たちが所持していたフィルムと文書類を見つけた、と報道陣に語った。 [翻訳協力:伊東]
http://www.thedailystar.net/2005/03/17/d50317011514.htm
2005.03.19 UPDFの拘留者37人当日釈放
[チッタゴン市発、the Daily star] 警察は水曜日の深夜、その日の早朝拘留した統一人民民主戦線(UPDF)の37人のリーダーと活動家を釈放した。
UPDFの先住民族活動家たちは、よりチッタゴン市のPanchlaishにあるコミュニティ・センターで嫌疑に身柄を拘束された。
情報筋によると、3人のメンバーからなる警察の捜査委員会がUPDFの人間を尋問し、彼らが何の違法活動にも関係していないことがわかったため、ということだ。
UPDFの関係者は、 コミュニティ・センターに集まっていたUPDFの活動家は、Baisabi−来月チッタゴン丘陵地帯で行われる先住民の伝統的な祭−の時に行われる予定を計画するためであったと言っている。[翻訳協力:伊東]
http://www.thedailystar.net/2005/03/19/d50319061686.htm
2005.3.19 アディバシ・カルチャーフェスティバル2005 先住民伝統にスポット
Afsar Ahmed
[The Daily Star] シルパカラ・アカデミー(Shilpakala Academy)で3日間行われたアディバシ・カルチャーフェスティバルが、カラフルな伝統衣装に身を包んだダンサー達の、高らかに響き渡るdhol(太鼓)やリズミカルなスタッカートの音に乗せた力強いパフォーマンスと共に初日を迎えた。SEHD(Society
for Environment and Human Development)が主催し、先住民族らの輝かしい伝統文化が披露されるこのフェスティバルは、3月17日に「多様な文化は先住民の誇り」をスローガンに始まった。
開会式では、先住民の多様な文化に焦点を合わせた。チャクマ・サークルの首長、Raja Devashish Royがランプに点灯してフェスティバルを開会。その後、SEHDの議長であるSakhawat
Ali Khan教授が議長を務めたディスカッション・セッションが続き、メインゲストにチッタゴン丘陵地帯担当省のMani Swapan
Dewan副大臣、スペシャルゲストにPromode Mankin MPとシルパカラ・アカデミー会長の Ahmad Nazirを迎えて開かれた。
演説者らは、多様性の中で調和を図り、適切な教育、人々のニーズにこたえることで先住民の伝統と文化の復活及び保護する必要性を強調。また、スピーチでは先住民の為の担当省の必要性にも触れた。また演説は、先住民族のための独立した省の必要性が中心となった。
初日の注目は、オラオン族、サンタル族、ラカイン(Rakhain)族、そしてトリプラ族と、異なる先住民文化のアーティストによる度肝を抜くような終盤の演技。
Hamni Hiki BangladeshiやTaley Taley Madel Bajelaなどの曲に合わせたダンス、また、北ベンガルのオラオン族によるLal
Fita Hariariのメロディーにのせたウェディングダンスは様々な種類の太鼓によるはっきりとしたリズムが特徴的。特に目を引いたのは、花をkaramバスケットに集める少女達と、長いドーティーとシャツに身を包み、ウエストと足首にベルトを巻いた少年達をイメージしたKaram祭の演目だった。
ラーマを王とし、自らをラーマの失われた従者であると信じるサンタル族は、ドゥルガープージャー(Durga Puja)で行うDasaiダンスで親愛なる王へ進貢。ウェディングダンスでは花嫁が竹造りのバスケットに座り、花婿が花輪を交換しながら友人達の肩に乗って運ばれる、伝統的なサンタル族の結婚式を描いた。
火のついたキャンドルを載せたボトルを頭上に置き、バランスを取りながら踊るトリプラの少女達の伝統のJhumダンスまたはKatharakダンスも観客を幻想の世界へと引き込んだ。
沿岸地域の民族でパーリ語で保護者を意味するラカイン族は、伝統の音楽の大部分を失った感があるが、ラカインの少女達の荘厳なブッダ崇拝の踊りと、水を使ったJal
Keliダンスは観客に大好評だった。
文化生活の境界線は、ダンスや歌、ドラマのステージパフォーマンスよりも深い所で続いている。文化とは我々自身、文明とは我々の築き上げてきたもの。Philip
Gainの展示写真や工芸品の展示は、ライフスタイルを描いたものであり、国の様々な先住民達の肖像だ。
フェスティバルは今日が最終日で、トンチョンギャ及びマニプリ、 チャク、キャンそれぞれの民族のパフォーマンスがシルパカラ・アカデミーで行われる。[翻訳協力:仲本]
http://www.thedailystar.net/2005/03/19/d503191401114.htm
2005.03.25 憲法で先住権明記を要求
[The Daily Star] 昨日の会議で演説した人々は、「先住民族は依然として様々な権利を奪われたままである」として、憲法で先住民族の権利を明記するよう求めた。
加えて発言者達は、政府は先住民族に対する責任を放棄していると批判した。
「先住民族を根絶やしにしようとする陰謀が進行中である。45の民族的少数者グループは権利のために闘う強力な全国政党を必要としている」と、2日間に渡ってダッカで開催されるこの会議の開会式において、CHT丘陵評議会議長Jyotirindra
Bodhipriya Larma、通称ションツ・ラルマ氏は述べた。
Nijera KoriというNGOと協力して「バングラデシュにおける先住民族の緊急課題」に関する会議を組織したのは、全国アディバシ調整委員会(NACC)、バングラデシュ・アディバシ・フォーラム(BAF)、および丘陵地域NGOフォーラム(HTNLF)の各団体。
会議は先住民族グループと政府との関係について認識の一致を図ること、そして先住民族グループを一つのネットワークの下に組織することを目的にプログラムされた。
丘陵地帯先住民族NGOフォーラム(HTNF)の議長ラジャ・デバシシ・ロイ氏は、先住民族に対する差別は依然として社会に蔓延していると語った。
他に演説したのは、Promod Mankin国会議員、バングラデシュ・アディバシ・フォーラム事務局長Sanjeeb Drong氏、Nijera
KoriのKhushi Kabir氏、著名な舞台人Mamun-ur Rashid氏、およびダッカ大学のMesbah Kamal教授。[翻訳:村田]
http://www.thedailystar.net/2005/03/25/d50325060356.htm
4月
2005.04.03 CHT「ボイサビ・ウッサブ」でお祭りムード
[The Financial Express]
カグラチョリ先住民族最大の宗教フェスティバルである「ボイサビ・ウッサブ」を目前に、チッタゴン丘陵地帯(CHT)全域が祭り一色になっている。この祭典を祝うため、丘陵民らは入念な準備に励んでいる。通常よりも熱心に、また楽しく情熱的に取り組んでおり、フェスティバルを心待ちにしている様子だ。
「ボイサビ・ウッサブ」は、4月12日から14日までCHT全域で祝われる予定で、過ぎ行くベンガルの1年に別れを告げ、新年を迎えるためのもの。また、4月12日にカグラチョリで合同のボイサビ集会開催を予定している。
フェスティバルは13の民族のコミュニティーが全く同じ様式で祝うが、ただ1つ違うのがその名前。チャクマ族では「ビジュ(Biju)」、トリプラ(Tripura)族では「バイス(Baisu)」、そしてマルマ(Marma)族では「サングライ(Sangrai)」と呼んでいる。
異なる社会文化を持つ組織や政治団体が、フェスティバルを祝うために緻密なプログラムを用意した。それに加え、様々な団体がこの祭典を記念しての特別出版を実行するための準備を進めている。
フェスティバルの日を前に、先住民らは住宅やショッピングセンターの修理、清掃、飾り付けに精を出している。
村では例年通り福引きが用意されており、地元のクラブや団体らも「Dhaha kheka」、「Alari Khela」、「Gila
khela」、「Daria khela」といったダンスや歌、文化活動、スポーツイベントを進んで企画している。 フェスティバル当日には外国料理のピタ(お菓子)も作られる予定だ。
また、カグラチョリ県のMarma Oikya 協議会(Parishad)、Marma Unnayan Sangsad、トリプラ学生フォーラム(Tripura
Student Forum)、Shalkatal Club、Surja Shikha Club、Rega Library、Youth
Star Club、Gargazzachhari Parachhara Three Star Club、それにMahalchhari
PBM Buddha Bihar (PBM仏陀ビハーラ)らが様々なプログラムを用意している。
このフェスティバルは、豊かな伝統文化や調和、地域の民族グループらの友好を象徴するもので、先住民族は平和な世界を築くための新たな誓いを交わす。[翻訳協力:仲本理恵子]
http://www.financialexpress-bd.com/index3.asp?cnd=4/3/2005§ion_id=6&newsid=17473&spcl=no
2005.04.03 カグラチョリで驚異的にマラリアが拡大:3月だけで5000人が犠牲に
[4月2日、カグラチョリ (BDNEWS)発、 Financial Express]
「マラリアに罹りやすい地域」として知られる丘陵地帯のカグラチョリで、住民達にパニックを引き起こすほど不安にさせる勢いで、マラリアが拡がっている。2005年3月だけで、少なくとも5000人が発症した。
カグラチョリ県医師長のサブハッシュ・ダス氏によると、マラリアの犠牲者の数は、前年と比べて今年はかなり多いということだ。
2005年2月には、8郡で7000人もの人がマラリアを発症した。その地域では、35の医療チームがこれ以上マラリアが拡がらないよう取り組んできたが、市総合病院だけで4人が死亡している。
彼は、予防のために必要な処置がなされなければ、死亡者の数は増える恐れがあると言っている。
今までは、蚊帳をデルタメトリンという殺虫剤に浸すというプログラムが、この地域のどの県でも行われていて、それがマラリアを予防するための重要な役割を果たしていた。
世界保健機構(WHO)の援助で、2004年3月まで行われていた。その後、資金不足のため中止された。
すでに一年が経過したのにもかかわらず、保健家庭福祉省はそのプログラムを行う為の資金を全く割り当てなかった。
関係筋によると、去年1年だけでこの地域の8郡でマラリアの犠牲者の数は、108,900(英文はカンマの位置が変ですが、10万ですよね?)死亡者の数は、女性と子供も含め102人ということだ。2003年のマラリアの犠牲者の数は、88,745人でであった。そのうち、129人が死亡している。一方、3月にカグラチョリにある市総合病院で30人のマラリアの犠牲者が治療を受けた。彼らの多くは子供達であった。さらに、2005年2月には、364人がマラリア熱を発症した。
一ヶ月のうちにマラリアに発症したのは、パンチャリ郡で660人、ディギナラで1193人、マハリチャリで325人、Laksmichhari(ラクミチョリ?)で202人、マニクチョリ郡で774人、Ramgarで813人、マティランガで1052人であった。
関係筋によると、2005年3月だけで、5000人以上の人が発症しているということだ。一方、カグラチョリの市総合病院の患者の数は毎日増加している。この地域の住民は、医薬品や医師、医療機器の不足により、医療施設を奪われている。[翻訳協力:伊東]
http://www.financialexpress-bd.com/index3.asp?cnd=4/3/2005§ion_id=6&newsid=17470&spcl=no
解説:カグラチョリ県で2つの診療所を営んでいる「国境なき医師団」の現地医師によれば、2001年時点で同診療所の受診者でマラリア原虫を宿していた人の割合は約4割である。ただし、検査は血液を手動の遠心分離器にかけ顕微鏡で確認するもので、同診療所に来られない僻地の人などを考慮すると実際は6割を超えるかも知れない、という。
5月
2005.05.04 「CHTのベンガル人に平等な権利を保証せよ」
とバンダルボン円卓会議が11項目の要求を提案
[バンダルボン発、The Daily Star]
当地での円卓会議において演説者たちは11項目の要求を提案するとともに、チッタゴン丘陵地帯のベンガル人と先住民族に対して平等な権利と基本的人権の確保を実現するよう政府に要求した。
CHTベンガル人学生評議会バンダルボン県支部が組織した円卓会議「CHTの現状:我らの責務」には、チッタゴン大学教師、政治指導者およびベンガル人コミュニティのリーダーを含む専門家が列席。
討論会の主賓としてチッタゴン大学(CU)前副学長Dr Mohammad Samsuddin 教授が招かれた。
演説者は他に、CU人類学科助教授Md Ashikur Rahman、政治科学主任Abu Taleb Chowdhury、Dr.
Hassan Mohammad、平等権運動代表Md Osman Goni、BNPバンダルボン県書記長Kazi Mohotul Hossain弁護士、イスラム協会(Jamaat-e-Islami)代表(Amir)
Abdus Salam Azad、バンダルボン記者クラブ代表Md. Badsha Miah、Rangamatia からAtiqur
Rahmanそしてベンガル人青年評議会Jamsedul Azam事務局長の各氏。
ベンガル人青年評議会中央委員会のYakub Ali Chowdhury委員長が月曜日にバンダルボン記者クラブで催された討論会の進行役を務めた。
丘陵地帯のベンガル人は、1997年、時の政府がPCJSSと結んだCHT和平協定によって生じた格差によって先住民族より恵まれていないにも関わらず、その次の政府は格差是正のための措置を何一つ取ってこなかった、と演説者たちは主張した。
彼らは、丘陵地帯で活動するNGOはベンガル人と先住民族との間の不和を煽動する片棒を担いでいると申し立てた。
11項目の要求には、不法な武器を回収するために機動部隊(RAB)を展開すること、国境地帯により多くの軍キャンプを設置すること、およびCHT地域評議会および丘陵県評議会選挙の実施を含んでいる。[翻訳:村田]
http://www.thedailystar.net/2005/05/04/d50504070373.htm
2005.05.06 CHTで触手を伸ばす薬物の脅威
[ランガマティ発、Independent] 薬物の脅威がチッタゴン丘陵地帯(CHT)で触手を伸ばしている。
チッタゴン丘陵地帯(CHT)では、化学薬品や薬物ビジネスに対して何の規制もない為、何百もの薬局や薬店が麻薬や酒類や有害な薬を販売していると言われる。その行為は若者を徹底的な荒廃へと駆り立てるだけでなく、消費者の健康をも脅かしている。
ランガマティ、カグラチョリ、バンダルボンの3つの丘陵県において、少なくとも500店の薬局のオーナーは、薬物許可証や教育を受けた薬剤師なしで営業を行っており、地元行政の目と鼻の先で薬物管理法を犯している、とソーシャルワーカーと地元の政治指導者は断言した。
同時にそれらの薬局・薬店では、化学薬品や注射、ワクチンが保管方法を無視して保管されている。
ある特別な温度で、完全に凍結された状態で保管されるべき注射や破傷風のようなワクチン、他の似たような薬物でさえ、それらの作用を無効にしてしまうようなケースや戸棚で保管され、患者に売られているのを目にする、とランガマティ総合病院の常勤保険責任者Manisha
Dewan博士は強く主張した。
約2千件ある薬局のうちたった5%だけが、薬の箱に書かれた説明に従っている、と彼女は付け加えた。
常用癖をもたらす鎮静作用のある錠剤や液体、注射や他の薬物が何の処方箋もなしで様々な場所で売られている。
伝えられるところでは期限切れの薬品もここでは売られているそうだ。
公式に禁止されている薬物は通常のものより5〜6倍の高収益をもたらすため、悪徳商人たちを販売へと導く。
社会福祉局の元次長Arati Chakma氏は、悪徳商人らの一部は薬品ビジネスのイメージに泥を塗り、一般人の健康とモラルを危険にさらしている、と話す。
薬局や薬店のオーナーは、伝えられるところでは、行政の目の前で標準以下の不純な薬品を販売することで、一般の人々の命を犠牲にして景気のよいビジネスを行い、自分達の富を得ている。
その上、多数の不良医薬品が命を救う薬という名のもとに無知な人々を騙して売られている。
いい加減な薬を売る商人とニセ医者は病気で苦しむ人々の命と引き替えに自分たちの富を築いていると、Rangamati Nagorik
Sangram Parishad事務局長Sushil Prosad Chakma氏はいう。
医薬品の名の下で、テストも受けていない有害な薬物が、ランガマティ、カグラチョリ、バンダルボン県の様々な市場で、露天商やニセ医者によって公然と売られているのだ。
取り扱いに慎重を要するこの問題を調査する当局は存在しないようだ、と言われている。
この地方の人々の劣悪な経済状況とCHTで医療に従事したがらない医療関係者の意識が、無許可の薬局の急速な成長やニセ医者の活況につながっている、とある被害者は強く主張した。[翻訳協力:根本]
http://independent-bangladesh.com/news/apr/06/06042005ct.htm#A1
2005.05.23 日本の援助、今度は「人の安全保障」の紐
訪問中の谷川副大臣へのインタビュー
Sharier Khan
[The Daily Star]
訪問中の谷川秀善外務副大臣は昨日、国際的信用を保持するために、法と秩序のような統治に関する問題点を改善し、犯罪を減らすことが重要であると語った。
日本大使館で行われた本紙との会談で、谷川外務副大臣は、「日本政府は、統治と言うのはその国自身の問題で、外部からの干渉は望ましくないと考えています。しかし、国際的信用を保持するために、(バングラデシュにとって)統治を改善することは重要です」と指摘した。
バングラデシュは自ら努力すべきであるが、しかしながら、日本はこれに関連したバングラデシュ支援を行う用意がある、と日本のベテラン政治家は加えた。
この国最大の二国間贈与国として、バングラデシュに対する日本の援助は伝統的にインフラ整備に重点が置かれてきた。これからの日本の援助は、これまでのようなハード面の援助だけでなく、同時に制度面への支援も行っていく、彼は明言した。
「今後は、人の安全保障が(日本の援助では)重要となってくる。さらに、文化交流にも力を注いで行きたい」と谷川氏は言い添えた。バングラデシュは現在、警察改革について日本と交渉しているところだ。副大臣は、日本が効果的に警察を改革する援助ができる点は、「日本が出来る協力としては、大変重要な分野として第一に警察装備への支援。2番目に重要なのが、研修に対する支援です。重大事件の捜査では、科学捜査の向上に真剣に努力する事が不可欠なのです」と指摘した。
「日本人は、バングラデシュのためにどうすれば役に立つことが出来るか分かっていると私は信じます。科学捜査の見学と研修のために、警察幹部を日本に招く事になっています」と彼は言い添えた。
バングラデシュがどうやって日本からの投資を誘致するのかについて、谷川副大臣は、「投資を誘致するためには、まず何よりもインフラの整備が大切です」と意見を述べた。
「しかし、我々はまずどのような投資がバングラデシュと日本の両国にとって利益になるのかを明らかにすべきです。どの分野にするかを確認するするために両国はこの問題について話し合うことになります」
「バングラデシュは広範囲の文化遺産に恵まれていることに気づきました。観光業が奨励され、その部門が開発されると、莫大な外貨がバングラデシュにもたらせれることになります。多数の日本人観光客もやってくるでしょう」と付け加えた。
木曜日に到着してから、谷川副大臣はカレダ・ジア首相と日本の国連安全保障理事会の常任理事国入りに向けてバングラデシュのサポートについて話合った。
「1994年以来、バングラデシュは日本の常任理事国入りを支持してくれています。昨日、私は首相とお会いし、その支持の姿勢に変化はないということを確認しました」と述べ、「我国は従来、平和を希求する国として行動してきました。もし、日本がメンバーになれば、世界の調和を乱す行動に反対する活動をすることになります」と彼は付け加えた。
日本はバングラデシュでの援助の効果について満足しているか、という質問に対しては、「未来を築くのはバングラデシュ自身にかかっています。日本はただその手伝いをするだけです。バングラデシュは多くの目標を必ず達成するものと我々は確信しています」と述べるにとどまった。
谷川副大臣の今回のバングラデシュ訪問は、ルプシャ川にかかる日本の援助で建設されたカーン・ジャハン・アリ橋の落成式へ出席するため。副大臣はバングラデシュの印象について、「バングラデシュの印象は今回の訪問で変わりました。状況はあまり良くないと思っていましたが、しかし実際に訪れてみると想像していたのとは大違いでした。全部を見た訳ではありませんが、かなり開発のすすんだ都市部を見ました」と述べた。
去る3月、日本は農村開発に110億3000万円(1億700万USドル)の援助を約束した。前年度は、バングラデシュに対して160億8000万円(1億6000万USドル)の債務免除を実施している。[翻訳協力:伊東]
http://www.thedailystar.net/2005/05/23/d5052301044.htm
2005.05.28 携帯電話ネットワークから除外されたCHT
チッタゴン丘陵地帯は「保安上の理由」から便宜を奪われている
[ランガマティ発The New Age BD配信、News From Bangladesh]
携帯電話サービスは、大都市から辺鄙な村までどこでも利用できるが、チッタゴン丘陵地帯の3地域の住民は、「保安上」の理由からこんなに便利な物を与えられていない。
携帯電話会社は、現在、ランガマティ、カグラチョリ、バンダルバンの丘陵3県を除く61県をカバーしている。
携帯電話会社のグラミーンフォンは、ネットワーク・エリアを町の5キロ以内に制限するという条件で、内務省からの許可を得て、ランガマティにこの携帯電話のネットワークの設置を開始した。
この作業の一部として、チャンパクにある元国会議員のDipankar Talukdar所有の高層ビルにタワーを建てた。しかし、関係筋によると、軍と情報機関からの反対を受けて、作業は中断されているということだ。
彼らは「保安上の理由」により、作業は現在中断されていると言っている。
過去にも、携帯電話会社のシティセルは、カグラチョリにネットワークを拡張できなかったし、AKTELも同様の反対に遭って、カプタイとバンダルバンでネットワークを拡張できなかった。
この妨害は、すでに丘陵地域住民の不満の種となっている。
和平合意後、丘陵地帯では反国家的活動は何も起こっていないと人々は言い、PCJSS(チッタゴン丘陵地帯民族統一党)とUPDF(統一人民民主戦線)の行動は双方に向けたものに限られ、国家に害を及ぼすものではない、と住民たちは言っている。
チッタゴン丘陵地帯地域評議会議長のションツ・ラルマ氏は、この妨害の理由がわからないと言って、工事差し止めを非難した。「政府は丘陵地帯の住民を差別している」
アワミ連盟の県代表であるディポンコール氏は、アワミ連盟が政権を取れば、差別はなくなり、携帯電話の丘陵地帯3地域でのサービス提供の許可が与えられる、と語る。[翻訳協力:伊東]
http://bangladesh-web.com/news/view.php?hidDate=2005-05-28&hidType=ICT&hidRecord=0000000000000000046266
2005.05.29 ベンガル人入植者が「ジュマ民族の土地を占拠」
[The Financial Express/ BSS配信、News From Bangladeshより]
先住民族からなる各団体のリーダーらは土曜日、ベンガル人入植者が軍隊の援助を受け、チッタゴン丘陵地帯の「ジュマ民族居住地域を占拠している」と主張した。(Finalcial
Express)
BSSによれば、「ベンガル人入植者がLemuchhariの丘陵地とMahalchhariウポジラのKutting Tillaを占領した」という。
Santhoshita Chakma氏は「政府機関の直接支援と関与で起こった占拠だ」と発言。
Chakma氏の発言はParbatya Zilla Nagorik委員会、バングラデシュ先住民族フォーラム、Parbatya
Bikkhu Sangha、Parbatya Jumma Regugee Welfare Association、そしてMarma
Unnayan Sangsan and Hill Law Graduate Associationが共同で企画し、Jatiya
Press Clubで開かれた記者会見でのもの。
会見で先住民族リーダーらは、Babuchhara及びPujgangでのBDRキャンプ設営地獲得の指示撤回、政府によるBoalkhali
Nutton Bazaar移設計画の中止、Buddha Shishghar orphanage(ブッダ少年少女孤児院)のパゴダ(仏塔)、Hari寺および焼けた土地、そして不法に占拠されたジュマ民族の土地を含む同孤児院の土地の再生を要求した。
記者会見には他にHangsha Dhaj Chakma氏、Sumana Langkar Mohathero氏、Ashutosh
Chakma氏、それにProbakar Chakma氏が出て意見を述べた。[翻訳協力:仲本]
http://bangladesh-web.com/view.php?hidDate=2005-05-29&hidType=TOP&hidRecord=0000000000000000046486
6月
2005.06.04 新たに2万8千のベンガル人家族に対する配給を計画
[The Daily Star]
チッタゴン丘陵地帯(CHT)に住むベンガル人が引き続き増加していることを受け、政府は新たに28,000のベンガル人世帯に食料配給を計画していることがわかった。
現在政府は、ベンガル人家族らが入植者として丘陵地帯に移った1978年から集団村の27,000世帯に配給を行っている。
ベンガル人の他に、1997年、20年にもわたる紛争に終わったCHT平和協定締結後にトリプラから戻ってきた先住民世帯12,200にも配給を実施。
「新しい入植者に配給を行うかはまだ決定していないが、その案は検討中だ」、とCHT担当省副大臣のMoni Swapan Dewan氏は述べた。
また、「現在はベンガル人家族がそこまで増えたのかどうか、政府が食料を支給するべきかを調査している段階」と付け加えた。
カグラチョリ県選出の国会議員でCHT開発委員会委員長のWadud Bhuiyan氏によると、集団村のベンガル人居住者数はここ数年で数倍に膨れ上がっている。
それに加え、「住民の生活は苦しい状態。しかし、政府はまだ決定を下したわけではない。いくつかの省庁は丘陵地帯にとって不都合な状況は避けようと考えている」とも発言。
平和協定締結後、ベンガル人は山岳部に移り住み、政府が援助している集団村で保護を受けていると言われている。
情報筋によれば、政府は何千人というベンガル人をカサロング(Kassalong)の保護森林、または新しく建てられたインドのMizoram
Stateの国境に続くBaghaihat-Sajek道の側に移住させる案もあるという。
Wadud Bhujyan氏はこの質問を受け、数世帯のベンガル人家族がSajek道付近に家を建て始めたことを認めたが、軍は安全上の理由から許可しなかったという。
Baghaihat-Sajek道はカサロングの密集した保護森林を通っており、1927年の森林法と2000年のバングラデシュ森林(改正)法に違法。
法によれば、天然林の害になる建造や人的干渉は如何なる場合も禁止されている。
先住民族リーダーは、カサロングの保護森林での住居建築が進めば、CHT最古の未開発天然林は完全に破壊されるだろうとしている。
「そんなことをするよりも、政府は平和協定を履行するべきだ」と、チッタゴン丘陵地帯民族統一党(PCJSS)の副党首でCHT地域評議会議員のRupayan
Dewan氏は述べた。
またDewan氏は、政府がより多くのベンガル人に対する配給を計画していることに関して異議を唱えている。[翻訳協力:仲本理恵子]
http://www.thedailystar.net/2005/06/04/d50604060266.htm
2005.06.09
CHT土地委員会のための法的枠組み − 次回会合の日程決めず第1回会議終了
Monirul Alam記者
[カグラチョリ発、The Daily Star]
昨日、チッタゴン丘陵地帯土地委員会の第1回会合が当地で開かれた。土地委員会を始動するに当たって、その職務のために欠く事の出来ない法律の制定の必要性が強調された。
「委員会のみが設置されている。必要な法律の制定なくして、土地委員会が活動を始めることはありえない」。カグラチョリ政府宿舎(Circuit
House)で行われた第一回委員会の密室会議が終了した後、委員の一人である通称ションツ・ラルマことJyotirindriya Bodhipriya
larma氏が記者団に対してそう語った。
会議は午前11時に始まり、昼の12時半に終了。
会議の司会は、委員会議長である引退した元高裁判事AM Mahmudur Rahman司法官が務めた。
記者たちへのブリーフィングでラーマン司法官は「会議はしごく真面目な雰囲気の下で進んだ。今日の第1回会議では、委員会の職務に関する重要な問題について話し合った」と述べ、「国会は、CHT地域評議会によって作成された委員会法の制定に関する勧告を踏まえて、必要な修正を行う責任がある」と付け加えた。
その一方で「もしも、これが単なる委員会ではなく「裁定機関」であるならば、長年続くCHTの土地紛争問題の解決に対し、さらに効果的な役割を果たすだろう」と語った。
しかし彼は、会議の進展および次回の会合の予定を決めなかったことに関するコメントをんだ。
ランガマティ、カグラチョリ、バンドルボン3県の調整機関であるCHT地域評議会(CHTRC)は、丘陵地帯での土地紛争緩和のために早くに政府に対して19の法案および条例案を提案していた。
政府とCHTRCは、それらの提案のうち18本については、すでに合意に達している。ションツ・ラルマ氏は、「後のひとつは先住民族の土地権確立にとって大変重要だ」と話す。
他に会議に出席したのは、チッタゴン管区長Ashraful Maqbul氏、ランガマティとカグラチョリからそれぞれ県評議会議長であるManik
Lal Dewan 氏およびNakhstra Lal Dev Burman 氏、そしてバンドルボン県評議会議長代理のLushai
Mong氏。また、チャクマ・サークル首長Devashish Roy氏、モン・サークルの首長Paila Prue Chowdhury氏およびボモン・サークルのChhla
Prue Jhimi氏も出席した。
土地委員会は、前のアワミ連盟政府とションツ・ラルマ氏が党首として率いているチッタゴン丘陵地帯民族統一党(PCJSS) との間で1997年に結ばれたCHT和平協定の規定に従って1999年7月3日に誕生していた。
土地委員会の成立を正式化する官報での公告は2001年7月のことであった。事務所はカグラチョリ県長官事務所の近くに開設された。[翻訳:村田]
http://www.thedailystar.net/2005/06/09/d50609070171.htm
2005.06.13 CHTでの混乱を恐れるCHT省 悪化するUPDFとPCJSSの対立
[The Daily Star]
チッタゴン丘陵地帯(CHT)問題担当省は、チッタゴン丘陵民族統一党(PCJSS)と和平協定に反対する組織である統一人民民主戦線(UPDF)間の対立が、いつ何時カグラチョリでの大規模な虐殺につながるか分からない、と恐れている。
昨日のCHT問題に関する議会の常任委員会に先立って提出された、3丘陵地帯の法と秩序に関する担当省報告書で懸念を表明した。 その中では、警察と準軍隊のバングラデシュ国境警備隊(BDR)、そして軍隊の要員へ、暴力の可能性に警戒するよう勧告している。
Mosharraf Hossain氏が議長を務めた国会議事堂での昨日の常任委員会会議では、次回の会議でCHTの法と秩序を議論する為、内務大臣とBDR長官を招くことを決定した。
報告書によれば、カグラチョリにおける法と秩序が過去数年と比べ非常に悪化しているという。他の2つの丘陵地帯―ランガマティとバンダルボン―における状況は、比較的安定している。
「今のところ、カグラチョリの状況は警察とBDR、軍隊の活動強化のおかげでコントロール化にあるが、いつ何時この地域でPCJSSと
UPDFによる支配権をめぐっての激しい戦闘が起こるかわからない。」報告書の中では、Gazi Mohammad Julhasカグラチョリ県長官の発言が引用された。
昨日行われたCHT問題に関する常任委員会会議ではまた、丘陵地帯で安定を維持する方法を提案する為に5名からなる副委員会を設置した。
加えて委員会は、国境地帯におけるBDRと他の法執行機関のメンバーの影響力の強化と、犯罪防止活動の継続を内務省に要求した。
PCJSSとUPDFの長年に渡る紛争について、関係地域の3名の県長官によって用意された報告書では、両者は他方への支配を確立しようと躍起になっている、と述べている。
報告書によると、今年PCJSSはUPDFに対してメンバー誘拐に関する7件の訴訟を提出しているという。一方UPDFは、非公然活動組織のため訴訟は起こしていない、と報告書は付け加えた。
報告書はまた、PCJSSが和平協定は対抗勢力(UPDF)が反和平協定の活動継続に固執しているために実行されていない、と主張し海外に向けてのキャンペーンを打っていることも述べている。
CHT問題担当省は報告書の中で、1997年に締結されたチッタゴン丘陵地帯和平協定のいくつかの条項はいまだに実行されておらず、そのことが丘陵地帯の人々の間で広がる憤りにつながっていることを認めた。
報告書はベンガル人入植者と先住の人々との土地紛争を、CHTにおける社会的緊張の主要な原因とし、CHT土地紛争解決委員会の強化を勧めている。
Mosharraf Hossain委員長は会議の後、委員会が次回会議で丘陵地帯における和平を確実にする為の具体的な勧告をテーブルにのせることを記者に語った。
委員会メンバーのMoni Swapan Dewan氏、Shahjahan Chowdhury氏、Syed Moazzem Hossain
Alal氏、そしてWadud Bhuiyan氏らも会議に出席していた。[翻訳協力:根本]
http://www.thedailystar.net/2005/06/13/d5061301022.htm
2005.06.18 永住ベンガル人団体のリーダー3人、誘拐容疑で逮捕
[ランガマティ発:The Daily Star]
警察は、バスの運転手を誘拐した容疑でAdi O Sthayee Bangalee Kalyan Parishadの3人のリーダーを逮捕した。
そのうちの1人、同団体県支部の書記をしているアザム・アリ・アザム氏は昨日、総合病院から連行された。アザム氏は軍から拷問を受けて治療中であった、と言われる。
他の2人−サデク・バンダリー氏とアブ・タヒル氏は木曜日の深夜、町にある自宅で逮捕された。3人とも昨日刑務所に送られた。
同団体はチッタゴン丘陵地帯民族統一党(PCJSS)と共同で集会を開き、18人のリーダーに対する拷問に抗議する覚書を県長官を通して首相に提出している。3人の逮捕劇はその2日後であった。
警察は3人が、バスの運転手リポン・チャクマ氏が6月12日にランガマティ−モハルチャリ−カグラチョリ道路沿いのギラチョリで誘拐されたとされる事件に関わっているのではないかと見ている。
彼らを逮捕したのは、昨日(17日)と一昨日(16日)にKotwali警察署に申し立てられた2つに事件を受けてのことである、と警察は語った。
昨日(17日)のプレスリリースで同団体は、「嫌がらせ」という表現を使って、3人の逮捕を激しく非難し、リーダーたちの即時解放を要求している。[翻訳協力:伊東]
http://www.thedailystar.net/2005/06/18/d50618060563.htm
2005.06.23 丘陵地帯で撃ち合い、2名死亡1名負傷
[ランガマティ発The Daily Star]
昨日、モハルチャリとナニアチョールの境界の人里離れたKorollyachhari村で、先住民族の政治組織である統一人民民主戦線(UPDF)とチッタゴン丘陵地帯民族統一党(PCJSS)との間で撃ち合いが行われ、2名が死亡し、他一名が負傷した。
死亡者のうち1名は、UPDFの武装要員と言われるアヴィラッシュ・チャクマ氏20才と判明したが、もう1名の身元はこれまでのところ不明。
重傷を負ったアマレンドゥ・チャクマ氏15才は、反和平協定派であるUPDFの支持者で、ランガマティ総合病院に入院している。
地元民によると、和平合意支持派のPCJSSの25人くらいの武装した男達がその日の午後、村を襲撃したということだ。
UPDFは、彼らの襲撃を迎え撃ち、午後1時までの1時間に及ぶ銃撃戦となった。
軍隊は3時半頃現場を訪れた。[翻訳協力:伊東]
http://www.thedailystar.net/2005/06/23/d50623011512.htm
|