チッタゴン丘陵地帯における民族差別政策への資金提供者は誰か?
マハルチョリ事件速報 (2003年9月22日収録)
ADB
in CHT:(2000年5月、ADBチェンマイ総会に提出したレポート。英文)
Empowering the Internally Displace Peoples (2000年3月6日収録)
続発するPCJSS活動家殺害事件 (1999年12月28日収録)
バブチョラ事件(1999/10/16)現場レポート (1999年11月9日収録)
Hopes and despairs of the Jummas on Regional Council (1999年5月10日収録)
■ チッタゴン丘陵地帯における民族差別政策への資金提供者は誰か?
Who funds the acts of racism and racial discrimination in the
Chittagong Hill Tracts?
2005年6月15日号 ACHRレビュー全訳 (訳責:村田) 2005年6月28日掲載
2005年6月の第一週、バングラデシュ政府はチッタゴン丘陵地帯(CHT)に暮らす平野部からの入植者2万8千家族に対する「無償食料配給」を継続する決定を下した。受給者たちは、政府がスポンサーとなって1978年から1983年まで続いた移住計画の下でCHTに連れてこられた人々である。政府が食糧配給を続けてきたのは、CHTで先住民族を少数派に転落させ、そして先住民族の固有のアイデンティティーを破壊する紛争を継続するためだった。
無料の食糧配給の提供は、ランガマティ県サジェク行政村のバガイハットとマジョロングの間に平野部からの入植者6万5千家族を定住させる事業への賛成を得るために過ぎない。それら数万人の入植者は、すでに1983年に政府が人口移動計画を中止した後に、CHTに流入してきた人々である。2001年10月にカグラチョリ県から国会議員としてワドゥズ・ブイヤン氏が選出された後、そうした入植者に対する再定住計画が急に持ち上がったのだった。数千人がすでに新しい定住地に移り住んでおり、多くの村々が「ワドゥズ・パーリ」、つまり「ワドゥズ村」と呼ばれるようになっている。
バングラデシュ政府はそれら入植者たちの安全を確保するために、大規模な軍事化に着手した。バングラデシュ軍は、1927年の森林法および2000年バングラデシュ改正森林法に明らかに違反して、すでにカサロング保存林の厚い森を通るバガイハット-サジェク道路を建設した。それらの森林法では、いかなる構造物の建設および人的な介在も、天然林の脅威となるものは全面的に禁止されている。
入植を促進するための軍事化:
政府はバンダルボン県に、ルマ軍駐屯地の拡張のために9,650エーカーの土地を確保している。2005年3月22日、政府当局はそのエリアを調査し、収容済みの土地に標識を立てた。推計では、この計画によって影響を受けるのは先住民族のムル、トリプラ、マルマなど1,000家族に上る。
さらに政府は、ごく最近になって、陸軍旅団本部の拡張のためにバンダルボン県のボラグァタ(Balaghata)で、約183エーカーの土地を確保する旨を先住民族に対して通告した。
政府はすでにバンダルボン県のスァロク行政村(Sualok Union)で400世帯の先住民族を立ち退かせて大砲訓練センター用地11,446.24エーカーを収容している。立ち退かされた人々に対する補償は、一世帯当たり3千タカから8千タカ(6千円から1万6千円)と雀の涙にも値しない金額であった。大砲訓練センターの拡張のためにバンダルボンに19,000エーカーの土地を確保する計画は、現在、再検討中であると伝えられる。
現在、バングラデシュ空軍の訓練センター建設のために2万6千エーカーの用地をバンダルボン県で買収する事業が進行中である。案ではバンダルボン県のスアロック行政村(Sualock
Union)とラマ警察署管内が用地取得対象となっている。
2005年5月、政府はカグラチョリ県のバブチョラにバングラデシュ国境警備隊の大隊本部を建設するとの理由で土地買収予告を公表した。買収用地はジュマ民族の土地45エーカーである。
つい最近、陸軍がカグラチョリ県パンチョリ・タナの、インドとバングラデシュの国境沿いに位置するプジガン(Pujgang)のジュマ民族の村を破壊し、その後、450エーカーの土地を強奪した。陸軍は現在、不法に入手したその土地に駐屯地(cantonment)を建設中である。
さらに付け加えれば、政府はエコ・パークとその他の社会林のために数千エーカーの土地を取得済みである。バンダルボン県のチンブック(Chimbuk)においては、エコ・パーク建設の名の下で既に5,600エーカーの土地が収用された。政府は“Abhoyarannyo”(野生生物サンクチュアリ)を作るという名目でバンダルボン県サング郡(Sangu
Mouza)の土地5,500エーカーの確保に乗り出している。
政府の役人たちはまた、私人が経営するゴムと茶のプランテーションのためにラマ、ニッキョンチョリ、アリカダン、およびバンダルボン市(Lama,
Nikkyong Chari, Alikadam and Bandarban Sadar)の土地40,071エーカーを賃貸に出すよう、地元の人々に強要している。
民族差別的施策:ベンガル人入植者だけに無償配給実施
平野部から来た入植者の大半は、丘陵地帯で生き延びる手段を持っていない。UNDPとバングラデシュ政府の合同リスク調査報告は以下のように述べている。
「貧困の蔓延はまた、1980年代以来、大多数のベンガル人家族が継続して配給を受けていることからも明らかである。配給を受けている世帯数は現時点で28,200世帯。一家族当たり5.5人として14万人であり、あるいは現在の全人口の1割に相当する人数である。スポット調査の結果、多くの移民村では土地の利用には限界があり、人々は配給を受けるのに躍起になっていることが明らかになった。なぜなら、丘陵地では米が育たないからだ。いったい人口の1割もの人々をいつまで配給で養っていくことが出来るのか、疑問である。調査は次の点を明らかにしなければならない。すなわち、入植者たちは本当に生計を維持することが出来ないのか、長期に渡る食糧支援に値するのか、他の解決法を見つけることが出来ないのか」
バングラデシュ憲法28条は「宗教、人種、カースト、性別または出生地」による差別を禁じ、政府が「女性、こども、および遅れた集団に属するすべての市民の地位向上のために特別な優遇措置」を取ることを認めている。
もし政府が本気で「遅れた集団に属するすべての市民」のために何らかの積極的な事業を行おうと望むのであれば、住む家と土地を追われた先住ジュマ民族を対象に行うべきである。ところがバングラデシュ政府は平野部から来た入植者だけにタダで食料を配給している! 彼らは、土地の強奪と過激な人権侵害行為を行うことによって先住のジュマ民族をその土地から追い出し、そこに居座っている連中である。このような施策が、バングラデシュ憲法第28条およびバングラデシュも加盟している人種差別撤廃条約の第1条に違反していることは明白である。
先住民族の中で、インドから帰還したジュマ難民だけが配給を受けている。何故ならバングラデシュ政府とジュマ帰還難民福祉協会は次の2つの協定に署名しているからだ。すなわち、ジュマ難民の帰還を促進するために1994年に結ばれた16項目からなる『帰還および社会復帰支援協定(rehabilitation
package)』、および1997年3月9日に結ばれた『20項目協定』である。つまり、バングラデシュ政府はジュマ帰還難民に対して無償配給を提供するとの約束を当時の難民代表組織との間で交わしていたのだった。しかしそのジュマ帰還難民に対する配給でさえ不安定で、差別的であった。ジュマ帰還難民に対する配給米は各世帯に対して一ヶ月60キロであったが、ベンガル人入植者たちに対して全く同じ時期に配給していた米の量は月85キロであった。また、何度も政府は帰還難民への食糧配給を停止すると脅迫した。2003年7月、首相府はジュマ帰還難民65,000人に対する食料配給を差し止め、CHTの各所にある集団村に暮らす平野部からの違法な入植者に対して無償配給を提供するようCHT担当省に命じた。しかしながら、この措置はジュマ帰還難民の抵抗にあって撤回している。
大部分の帰還難民は、不法入植者とバングラデシュ軍によって横領された土地を取り戻すことが出来ていない。公式統計に依れば、CHTジュマ難民12,222家族の内、3,055家族が、依然として自分たちの住居と焼畑用地を奪われたままであり、またチャクマの仏教寺院6カ所、トリプラのハリ寺院(ヒンズー寺院)2カ所、および仏教系孤児院1カ所が1997年の和平協定第17条b項に反して不法入植者または陸軍またはアンサール軍に占拠されたまま取り戻す事が出来ていない。政府には彼らの土地を返還する責任がある。それにも関わらず政府は、ひどい状況にある土地紛争を解決するための努力を依然として怠ったままである。CHT土地委員会は、法律によってその設立が決まってから実に6年もの歳月が過ぎ去った2005年6月8日になってようやく、初めての会合を持ったのだった。
一体、誰が人種主義と人種差別活動の資金提供者かという疑問は依然として残ってままである。残念ながら、それに関する情報は何もない。ただ言えることは、CHTで援助活動を行っている特定の国連機関と2国間援助機関および多国間援助組織の資金が、CHTでの入植者の暮らしと活動を維持するプログラムの支援にも使われている、という事実である。チッタゴン丘陵地帯開発委員会に提供された資金もまた乱用されている。入植者集団村の中でのイスラム慈善団体の存在や活動については既に報道されている。
国連機関、二国間援助国およびその他国際社会の関係機関は、それら機関の資金が入植者への無償配給支援として使われていないかどうか再調査すべきである。また、バングラデシュ政府に対して民族差別的な施策を中止するよう働きかけるべきである。さもなければ、ジュマ民族のアイデンティティを徹底的に破壊するための紛争継続に対して、国際社会とその開発援助機関が「貢献」することになる。
[The weekly commentary and analysis of the Asian
Centre for Human Rights (ACHR)] C-3/441-C, Janakpuri, New Delhi-110058,
India Tel/Fax: +91-11-25620583, 25503624 Website: www.achrweb.org;
Email: achr_review@achrweb.org Index: Review/77/2005 Embargoed for:
15 June 2005
■ マハルチョリ事件速報
<ジュマネットからの転載>
■ 速報 ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
チッタゴン丘陵でジュマ民族400世帯が略奪・放火される
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ジュマ・ネット(転載自由)
2003年8月26日(水)から27日(木)にかけて、バングラデシュ、カグ ラチョリ丘陵県モハルチョリ郡で、ベンガル人入植者により先住民族の村
々が襲撃され、多数の家屋が略奪・放火された。(現地団体によると十数 ヶ村約400家屋、新聞では4ヶ村百数十家屋)暴徒を止めようとした
Lamuchari村の老人ビノード・ビハリ・キシャ氏が袋叩きにされて死亡し (射殺されたとの報道もある)、暴徒から逃れている時に泣かないように
口を父親に封じられた生後8ヶ月の赤ちゃんが死亡した。その他、多数の 負傷者が出ている。さらに、Pahartoli村の母娘3人、Dupoizza
Neel 村の 女性6名が集団レイプされた。そして、Pai Ana Thang さん(12歳)と Ma Ma Chiさん (15歳)という少女2名が誘拐され行方不明となっている。
4つの仏教寺院も放火もしくは攻撃され、仏像などが荒らされ、僧侶た ちが暴力を振るわれた。
新聞の報道によると、Rupan Mohajonというベンガル人商人が誘拐され たことに怒ったベンガル人商人たちが26日に(モハルチョリ町の)
College Roadを封鎖していたところ、武器を持ったジュマの青年たち4人 がその集団に発砲し、ベンガル人4名に重傷を負わせた。集団は逃げた青
年たちを追ったあと、近隣の村を襲い、無差別な略奪と放火を開始した。 放火と略奪は、翌27日いっぱい続いた。治安当局が暴徒を止める措置を
とった形跡はなく、地元ジュマ社会ではバングラデシュ軍が事件に直接 関与し、暴徒を先導したとする見方が有力視されている。
その後、事件に関与したと見られるベンガル人47名、ジュマ民族10名 が警察に逮捕されている。しかし、現在も緊迫した状況が続いており、
多くの村人は襲撃を恐れて山林や近隣の村に身を潜め、約1500人の先住 民が野外にあって、食料、薬のない悲惨な状態で過ごしており、軍隊が
各地に展開する物々しい状況が続いている。政府機関は、救援物資や見 舞金を配っているが、多くの被災民には届いていない模様である。現地
の仏教関係者やNGOが救援活動に動いている。
PCJSS、UPDFや丘陵学生評議会、丘陵仏教僧侶協会など、様々なジュマ 民族組織が抗議集会や陳情を行っている。先住民族の伝統首長(ラジャ)
たちも、カレダ・ジア首相と会談し、再発防止策を訴えた。海外でも、 国際NGOのサバイバル・インターナショナルなどがバングラデシュ政府宛
にアピールを送っている。
今回の事件は被害の規模で1997年12月の和平協定締結以来最大規模の 事件であり、極めて憂慮すべき事態である。また、カグラチョリ県、特
に今回の事件が起こったモハルチョリ郡を含め同県南部では規模はとも かく似たような人権侵害事件がたびたび起きている。その背景にはジュ
マ民族とベンガル人入植者との間に土地を巡る深刻な争いがあり、かつ、 今なお平野部から新たな入植者が流入し続けている現実がある。また、
軍をはじめとする治安機関のベンガル人への不公平な荷担も無関係では ない。それ故、同地域においては今後もジュマ民族への攻撃が多発する
ことが予想され、状況がより悪化する事が強く懸念される。
ジュマ・ネ ットではさらなる情報収集と、被害にあった人々への支援を決定した。
■義捐金へのご協力のお願い ■■■■■■■■■■■■■■■■
ジュマネットでは、今回の事件で焼け出されたジュマ民族の被害者、数 百世帯に、出来る限りの緊急支援を行いたく、カンパを呼びかけていま
す。義捐金は、現地住民組織を通して、食料や衣類、毛布など配布、テ ントの設置、そして余裕があれば簡易住居の建設に活用します。遠く離
れた日本でも、その状況を見過ごしにできない人たちがいることを知ら せることは、精神的な支援としても意味を持つでしょう。みなさまの暖
かいご支援をお待ちしています。
UFJ銀行 虎ノ門支店
普通口座 5926109
口座名義人「ジュマネット クノウケンジ」
*ジュマ・ネットはバングラデシュのチッタゴン丘陵地帯の先住民族の 権利と平和のために活動するグループです。
今回の事件などについてさらに詳しいことをお知りになりたい方は
jumma@jumma.sytes.net へ
連絡先:携帯 070-6650-4002 ジュマ・ネット
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<転載ここまで>
■ 続発するPCJSS活動家殺害事件
(メールマガジン「アジア・CHT先住民族情報」に掲載した記事を加筆訂正)
12月12日(日曜)、ランガマティにおいて再び不幸な事件が発生しました。 チッタゴン丘陵民族統一党(PCJSS=Parbatya
Chattagram Jana Samhati Samiti)はこれを強く非難、国際社会に対して和平協定の即時実施のための支 援を求めています。
手紙にあるように、元シャンティ=バヒニ兵士であるPCJSS党員マニン・チャクマさんが和平協定に反対するジュマ民族の凶弾によって殺害されました。和平協定反対派は和平協定の内容が民族自決権と先住権を満たす上で不十分であるとして「完全な自治」の実現のため武装闘争の継続を主張しています。そして、JSSが民族を「裏切った」として攻撃。なお、12月13日、the
Independnt紙は死亡したマニンさんを襲った 人数は7,8人と報道しています。
CHTでは、和平協定成立後も人々の暮らしの改善が一向に進まず、特に若い人 たちは就職口のないことから絶望的な気分が漂っています。テロリズムは往々
にしてそうした状況の中を土壌として、僅かな金や麻薬を餌に集められた連中 によって実行させられている、と言います。
和平協定反対派はそのリーダー二人の名前をとってプロシッド=ソンチョイグループと呼ばれ、彼等は1998年12月24日、「民族統一民主戦線」(UPDF)という非合法政党を結成。その実態は良くつかめていませんが、協定締結後、盛んにJSS党員や丘陵学生評議会(和平支持派)の活動家を誘拐。そして、1999年9月から彼等による銃撃が始まり、手紙にあるように12月までに5名が殺害され、多数が負傷しています。しかし、この殺害に対して彼等からこれまで犯行声明は出されておらず、また、報道を否定する声明も出されていません。その一方で、自分たちの犯行ではない、という「噂」を流しています。
バングラデシュでの政治テロはCHT内部に限ったことでは無く、常態化 していますが、CHTの場合は同じ民族、親せきなどの何らかの繋がりがある
人々の中で行われている分、不幸な事件であると言えます。
手紙の末尾に「PCJSSは今後起こるであろう凄まじい状況に対して、断じて責 任を持てない」と断言していますが、これは、PCJSSの党員が自分の身を守る
ために「悪党」どもに反撃する事件が頻発しても、それはPCJSSの責任ではな く、この状態を放置している、あるいは扇動している政府の責任である、とい
う意味です。
以下は、PCJSSからの手紙の直訳です。
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拝啓
この手紙は、悪党たちによってこの3日の内に起こされた大変忌まわしい事件 のお知らせです。日曜日(12月12日)の夜、プロシッド−ソンチョイグループ
のフーリガンたちは、さらにもう一人のPCJSSメンバーを、ランガマティ丘陵 県バガイチョリ郡バンゴルチュリ(Banghaltuli under
Baghaichari Thana) の彼の自宅に於いて獣のように殺害しました。
反CHT和平協定派のプロシッド=ソンチョイ・グループは日曜日の夜、タル ジャンの別名で知られるマニン・チャクマさん(37才)の家を包囲しました。
犯人たちは手始めに彼に向けて一発撃ちました。マニンさんははじめの銃弾は 避けられましたが、悪党どもによる乱射からは逃れることが出来ず、間もなく
して彼はその場で死亡しました。彼はPCJSSの活動家であり、もとシャンティ =バヒニの兵士でした。
彼はPCJSSが和平協定にサインしたあと、裏切り者のプロシッド−ソンチョイ グループによる残虐行為の5人目の犠牲者です。月曜日、PCJSSはプロシッド−
ソンチョイ・グループの悪党による犯行を強く非難しました。
プロシッド−ソンチョイ・グループの悪党どもは12月9日の朝にもバザールの 行く途中のチッタゴン丘陵民族統一党員Mr. Sadhan Chandra
Chakmaを狙撃 し、重傷を負わせている。
今やはっきりと言えることは、和平協定に反対するソンチョイ−プロシッドグ ループへ対して即時かつ必要な対処を行え、というPCJSSの要求に対して沈黙
したままのバングラデシュ政府とそのエージェントは、犯人たちを直接または 間接に助けるか、扇動することによって、この地域に混沌と不安を創り出そう
としているのだ。
チッタゴン丘陵民族統一党は、一刻も早くCHT和平協定の完全な実施に取りか かるようバングラデシュ政府に対して、すぐに、可能な方法で圧力をかけてく
れることを、平和的な国家、団体そして世界中の人々に熱望します。なお、 PCJSSは今後起こるであろう凄まじい状況に対しての責任を持つことは断じて
出来ません。
我々の団体−PCJSSはあなたの親切な助言を求めています。
あなたの親切な協力と助言に感謝します。
敬具
P.Khisha
Resident Coordinator,
Dhaka
Department of External Affairs
Parbatya Chattagram Jana Samhati Samiti(PCJSS)
■ バブチョラ事件現場レポート
村田由彦(バングラデシュ駐在)
カグラチャリ県を最後に訪問したのは8月の終わりで、今から2ヶ月前だ。し かし、乗り合いバスでチッタゴン市からカグラチャリ県に入るとその僅かな間
に様相は一変した。田圃は刈り入れの季節を迎えていた。バングラデシュの平 野部では年に3回の収穫が可能であるが、ここ丘陵地帯では灌漑設備があれば
年2回、設備のない土地では一回しか米を作ることが出来ない。
豊かな稔りの季節とは裏腹に、丘陵地帯に入った途端に軍人の姿が増して、 緊張の高まりは、旅行者が肌で感じられるほどだ。以前はほとんど無人であっ
た軍の監視小屋にも、そのほぼすべてに銃を構えた兵士が警戒に立っており、 また、パトロールも頻繁に行われている模様であった。そして、カグラチャリ
に着いても、広場の一角には数十人の兵士が監視にあたっていた。
筆者は10月16日の土曜日に起こったカグラチャリ丘陵県ディギナラ郡バブチョラでの事件の視察 のため、カグラチャリを訪れた。既報の通りこの事件は一人の兵士が乱暴目的
で女性の胸を触り、悲鳴を聞いて駆けつけたジュマの学生3人がその兵士を袋 叩にしたことに端を発する。
バブチョラはディギナラから車で20分ほどの距離。はじめに案内されたのは ベナバン仏教寺院で、人々は「兵士たちが仏像を殴った」と訴えた。小さなお
洞の様な所には壊された石油ランプなどが転がっていた。仏像を安置した台座 も兵士が壊したと訴えるが、ほとんど見た目には分からない。真鍮製の小さな
仏像が一体あるが、もう一体は兵士が持ち去ったという。ここでは僧侶も兵隊 に銃で殴られたと聞いたが不在だった。また、近くの移動床屋は鏡が割られ、
一切合切を入植者たちに持ち去られていた。床屋さんのJagadish Chakmaさん は数メートルほど離れた所に日よけの布だけの臨時床屋を開いたが、「道具が
なくて、これからどうやって営業していけばいいのか」と途方に暮れていた。
お寺があるのはバブチョラの入り口で、そこから800メートルほどの距離に 事件の起こったバブチョラ・バザールがあった。途中の橋や茂みで数十人の軍
人が警戒に当たっていた。バザールは道路の両側に商店が30メートルほど連 なっている所だった。ほとんどの店が戸板を閉めたままだ。その日、ここを兵
士と村落防衛隊が取り囲み、バブチョラの住民のみならず、パンチャリやディ ギナラから来ていたジュマもみな犠牲となった。それというのも事件があった
日は、バブチョラではヒンズー教のDurga Pujaがはじめて開催されていたから だ。それだけに近隣から多くの人々がこのバザールに集まって来た。トリプラ
の人々はヒンズー教を信仰しており、その無念さを思うと何とも言葉が出な い。
バザールを過ぎると、ジュマの店だけが数店かたまっているところで僕たち は下りて事情を聞くことにした。多くの人々が集まっていた。事件から2週間
が過ぎているが、兵士たちから受けた打撲の跡は生々しく、言葉が出ない。後 で訪れたユニオン事務所では犠牲者の数は病院で手当を受けた人だけで80人。
そして3名が死亡している。他にベンガル人のリキシャ引きが事件現場から出 てきたところを怒った群衆に殴られて死亡した。
死亡者;
1. Dhipan Joti Chakma(14歳)帰還難民
2. KinaChan Chakma(45〜50歳)
3. Sukamal Chskms(40歳くらい)
この他に2人の若い女性と、30歳くらいの男性一人が未だに行方不明となった ままだ。
事件は真昼の12時に起こったという。胸を触られたのはミティ・チャクマさ んという15,6歳の女性だ。一体何故、昼日中に兵士は少女の胸を触ったのか。
事件の夜、方々で火事が起こっている。一部を除いて入植者が自分で自分の家 に放火したのだという。軍も同様に放火したという証言もある。「政府から新
しい家が支給されるのだ。それに、対立を煽る目的もある。彼等はすべての家 事をジュマのせいにして、何時までも軍と共にこの地にいることを望んでいる
のだ」と、ユニオン評議会の議長Paritosh Chakmaさんは言った。(ユニオン はいくつかのパラ(村)を集めた行政村で、議長以下は選挙によって選ばれ
る)
ユニセフが寄贈した小学校の教師をしているBibulity Khishaさんのところ では、スチール製の米壷とユニセフが支給した鉄製でガラスの窓が付いて金庫
の役目もする書類入れのガラスが割られ、中の資料が盗まれた。
商店を営むTiptendriya Chakmaさんの家では机の引き出しの鍵が破られ、中 の18,000タカを入植者たちのギャングに盗まれた。
薬屋を営むBhadrasen Chakmaさんの家の裏の親戚の家は放火されて燃え尽き ていた。そして彼女の家はベンガル人たちに屋根のトタンの一部を壊され、家
の中の大きな金庫が破られ、売り上げと仕入れのお金32,200タカと宝石類など あわせて88,000タカを盗まれるという被害を受けた。そして、僕たちが訪問し
た前日の夜にも何者かが彼女の家に投石した。彼女は商売人のおっかさん、と いう印象で、憤懣やるかたない、という様子で一部始終を語った。おそらくは
彼女の口封じを狙っての脅迫のつもりで投石したものと思われる。
バブチャラのジュマが経営する商店39軒はすべて何らかの破壊を受けたとい う。訪問したバザールの中の店は無惨に壊され、商品も跡形もなく持ち去られ
たという。僅かな被害に見える店も、ショーウインドーが割られ、そこに入れ てあった売上金が奪われている。ニュースなどで伝えられるのは死者や負傷の
人的被害に限られているが、虐殺事件には必ずと言っていいほど破壊と盗難、 強盗が伴っていると言うことを今回の事件ではじめて知った。
バブチャラの訪問を終えて、カグラチャリに戻るとマティランガという所か らある帰還難民がウペンドラ・ラル・チャクマさんを訪ねてきていた。その人
は、つい先日、自分の田圃に稔った米をすべてベンガル人入植者に刈り取られ てしまった。一体この先、どうやって生きていけばいいのか、ほとほと困った
様子だった。その村では帰還難民で土地を返還された人々の田畑は同様の被害 を受けたという。入植者たちは「ジュマは土地を返してインドに帰れ」と言っ
ているという。
CHTの人権状況は全体的に悪化してきている。これは、政府が和平協定を積 極的に実行しようと言う姿勢を示さないことに原因がある。
ジュマ民族は今回の事件に際して、直ちにジュマ民族代表(RC議員、帰還難 民代表、ユニオン評議会議長)を含む法的権限を有する司法調査委員会を設置
するようシェイク・ハシナ首相に要求した。また、カグラチャリの仏教界は10 月20日に大規模な抗議デモを実施し、そのビデオを首相以下関係者に送った。
コルポ・ロンジョン・チャクマCHT大臣はジュマ民族の要望を受けて「首相が 外遊から帰国したらすぐに司法調査委員会を設置する」と約束したが、首相が
帰国して一週間以上経つが、しかし、11月5日現在、何らの調査委員会も設置 されていない。
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